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JAPAN KARATEDO SOCIETY ZUISHIN |
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過去の大会記録 |
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Photo-NEWS |
日本空手道髓心会は、発会当初から勝つことを目的とせず、豊かな人生を送るための、心と体の基礎を培ってもらいたいと考えておりました。その願いは、今も変わらないところです。
よく、心技体ということばを耳にすることがありますが、空手も人間が行う道ですから当然心と体によって技ができます。技が体に偏ると、小手先の動きとなり、心に偏ると技が本来の目的を忘れます。心と体と技が偏ることなく表現されると、そこに術(すべ)が現れます。空手道で会得した、心と体は他の仕事などに大きな影響を与えます。修行を通して生きる術(すべ)となってもらえることに、本会の意義があります。
練習する上で、どんな風に心が大切なのか、また、心がどんな働きをするのか。自分の心でありながら、自在に操作できない心について、一般的に非現実的な傾向を揶揄(やゆ)することばとしてつかわれる精神論とは違った観点から、心に、そして体に深く問いかけ、見つめながら、『髓心』
ということばの意味を理解し活用してもらえるよう、未だ修行半ばで説明の行き届かないもどかしさを感じながら空手道の修行と
『髓心』を体感するため、この道を歩んでいます。
一握りの恵まれた武道の才よりも、空手道を、自らが社会を誠実に生き抜くための叡智としたい。誰もが持っていて、その存在に気づくことの少ない「真の我」を観、心の髄を体感する。そんな空手道をめざしています。
「髓心」という言葉は、私が27歳の時に若輩浅学をも顧みず、思うところがあり自らの修行のために創った造語です。日本空手道髓心会の修行の目的であり、過程であり結果です。
近年京都に隨心院なるお寺が存在することも知りました。隨心院がどのような意味を持つかは調べてはおりませんが、機会があれば、勉強してみたいと思っています。また、世の中、本当に知らないことばかりなので、他にも『髓心』という言葉を使っておられる方もいらっしゃるかもしれません。
私は、心というものに非常に興味を持つようになりました。「うれしいこと」「悲しいこと」「怒りや苦しみ」「迷い」等、特に空手道については、怠惰な心や恐怖心などが常に修行の妨げになっていました。そんな思いに振り回される心と、そんなことに振り回されてはいけないという心が、同じ人間の中に共存しているように思ったのです。そしてこの「振り廻されてはいけないと言っている心」に出会って見たくなったのです。
昭和49年3月、大阪は鴫野にある八剣神社を発祥の地とし、現在の若宮八幡大神宮に拠点を移し、幾多の方々のご協力ご援助をいただきながら、すでに年の歳月が経ちました。
発足の目的は、日本空手道致道会会長故佐々木武先生の命を受け大阪への進出を果たすべき役割を担っていました。当初は道場名を大阪八剣会とし、その後日本空手道致道会致道館三好道場、日本空手道致道会髓心会として次の連盟に加盟いたしました。
①日本空手道連合会
(財団法人全日本空手道連盟協力団体) ②大阪市・大阪府空手道連盟
(財団法人全日本空手道連盟) 特に連合会に於いては、常任理事・事務局次長・副理事長を歴任し、東西選手権大会では大会実行副委員長など大会役員としてもその役割を果たし、昭和62年9月15日には連合会創立30周年に特別功労賞を授与されました。
(現在は連合会を脱会しております。)
故佐々木武先生は、社会体育空手道を標榜され幾多の優秀な人材を育成されました。技術の流れは、世界に広く紹介をされております、船越義珍翁を開祖とする松濤館流(一般的呼称)で、その高弟である小幡功師範の指導を得ながら日本空手道致道会として独自の歩みをしてまいりました。
永年致道会の師範として後輩の育成に努めてまいりましたが、平成15年5月19日に独立し現在に至っております。 《道場》
本部道場<若宮八幡大神宮>
鶴見道場<みどりの家>
下の図のように、「心」を抽象化しています。青は空、緑は草木を表し、自然界から広がる宇宙全体をあらわしています。赤は心の核(髓)を表し、その情熱の色としました。
また、拳をもって心の核を表しているのは、求道の方法として空手道を選択したという意味です。外側の円が表されていなのは、空手道の道は留まるところがなく、永遠であることを示唆し、かつ隠された円の内側に拳が接しています。この拳のある場所によって、髓心会とその会員が世の中の一隅を照らす存在になろうという思いをこめています。
「一隅を照らすもの これ則ち国宝なり」 最澄 「山家学生式(さんげがくしょうしき)」 天台宗開祖の著書 |