「五輪書」から学ぶ Part-31
【水之巻】紅葉の打と云事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 武蔵は、「五輪書」を書くにあたって、 「五輪書」から学ぶ part-2の序に、「この書を作るといへども、仏法・儒道の古語をも借らず、軍記・軍法の旧きことをも用ひず。」(原文)と書き出しています。
 それでも、無学であるとは書いていませんし、残された絵画や彫刻などに見られるものは、ただ天賦があっただけとは思えません。相当の教養を身に付けていたと思います。
 この「五輪書」に於いての構成の仕方、言葉の選び方など、高い素養があったと推測されます。
 今回も、紅葉の打ちと、詩的なセンスを垣間見る事のできる言葉で、兵法の技に名前を付けています。

 よく、スポーツマンの事を、筋肉馬鹿と揶揄しますが、武道家の場合は、筋肉馬鹿を通り越して、暴力と直結したような評価になる事もあります。日ごろから教養を身につけ、文武両道でありたいものです。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
21. 紅葉の打と云事 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 紅葉の打ち、敵の太刀を打ち落し、太刀取り放す心なり。
 敵、前に太刀を搆へ、打たむ・張らむ・受けむと思ふとき、われ打つ心は、無念無相の打ち、また石火の打ちにても、敵の太刀を強く打ち、そのまま後を粘る心にて切先き下がりに打てば、敵の太刀必ず落つるものなり。
 この打ち鍛練すれば、打ち落すことやすし。よくよく稽古あるべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』

 21. 紅葉の打と云事

 紅葉の打ちとは、敵の太刀を打ち落として、太刀を落とさせようとする気持ちである。敵が前に太刀を構えて、打とう・払おう・受けようと思う時、自分は無念無相の打ちでも、石火の打ちでも、敵の太刀を強く打ち、そのまま続けて、切っ先を下げて打てば、敵の太刀は、必ず打ち落とせる。
 この打ち方は鍛錬すれば、打ち落とすのは易しい。よく稽古すること。

 『私見』

 この打ち方は、容易に間合いを詰められない時、意外と功を奏することがあると考えます。

 間合いが遠い場合、相手にも油断が生じる場合があります。これは、相手の隙に乗じて攻撃するチャンスでもあります。

 打ち込むには、距離がありますので、相手も気を抜いています。この時は斬られるという意識を一瞬緩めます。この機を察知して、刀を払いに行きます。攻撃は最大の防御と言いますが、同時に攻撃の直後に隙ができます。ですから、確実に刀を相手の手から落とさなくてはなりません。

 無念無相と言いますから、意識しないで強く打ちます。間合いは兎も角、石火の打ちと言いますから、ノーモーションで強く打ちます。
 どちらも、相手に打つことを察知される前に、打ち落とす気持ちが大切です。

 空手の場合でも、間合いが詰まっている時は、相手も注意しています。しかし、どちらも攻撃出来ない位置にいる時は、ある程度心に弛みが生じます。

 これを、攻撃のチャンスと考えて、相手を崩す攻撃を仕掛けます。刀と違って、相手の手を切り落とす事も出来ませんので、前の手を抑えたり、前足を払ったりして、相手の態勢を崩すための攻撃をします。
(写真は、自由組手の一瞬です。左側の7段礒田師範が、右側の私の前の左手を抑えて、左の手で攻撃しようとした所です。)

 ただ刀と違うのは、次の動作によって相手を制しなければなりませんので、心を残しておく必要があります。

 この心を残す事を覚えるのは、型の稽古を通して覚えると良いでしょう。型の中には、受けても攻撃をしない場合が、往々にして見られます。受けた後の僅かな時間に、反撃する気持ちを持つことが、心を残す練習になります。

 心を残す事は、通常の社会生活でも役に立つ事です。自分が自信を持っている事に対して、人は油断もしますし、気持ちが前向きになります。ただ前向きだと良いのですが、我を忘れて前しか見えなくなることもあります。そんな時に、ちょっと冷静になる事が、心を残す事です。

 剣術にも、空手にも、残心と言う言葉があります。相手を制したと思った時程、相手の窮鼠猫を噛むような行動に、対処する事ができなくなります。心を引き締めて置かないとなりません。

 私は、稽古の時には、一心である必要があると思っています。それでこそ、無心になる事もできますし、得られるものの質が大きく変わるものです。
 しかし、いざ本番と言う時には、七割程度の心の向け方、身体の使い方をすれば良いと思っています。意外と落ち着きを持てますし、相手の動きも良く観察する事ができます。そして何より技に緩急が生まれます。緩急のある動きは、相手も対処しにくいものです。 

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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