「五輪書」から学ぶ Part-66
【火之巻】 まぎると云事

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 【五輪書から】何を学ぶか?  

 毎回毎回、言葉に翻弄され、すんなり読むことが出来ません。今回も「まぎる」と言う言葉に、すっかり考えさせられました。

 古文や昔の書籍を、現代文に翻訳されている人達は、大変な作業だと、今更ながら感心しています。しかも、「五輪書」のように、実際の戦いを経験することのない現在では、より苦労する事でしょう。
 しかも、戦争体験者だから分かると言うものでもないと思います。

 武蔵は、常に「〇〇〇と云事」は、と、その次に説明を書き記していますので、今回は「まぎると云ハ」の次の言葉に期待をしながら、読み進めたいと思っています。

 よく会社などの研修で、講師を呼んで話を聞いた事がありますが、研修と言うのは、学生時代の授業と同じで、どうも生理的に合わないのか、講師の言う事が頭に入ってきません。特に一つの単語が分からない時は、その単語に引っかかってしまって、次の言葉が耳に入らず、結局、終わってみれば、皆目分からない、と言う結果になってしまいます。

 それで、良くこのブログを書けると、思われるかも知れませんが、文明の力と言いますか、この40年位の間に、世の中は進み、コンピュータが目を見張る発展をとげ、その恩恵にすがって、「五輪書」を読み、この文章を書いています。

 思い起こせば、百科事典からイミダスに頼り、今や、分からない事があれば、すぐに「ググる」と答えを返してくれます。もう30年も前になりますが、イミダスが創刊されたときは、あんなにも感激したのに、今や見向きもしなくなりました。

 インターネットの世界では、出所さえしっかりしていれば、こんなに便利なものはありません。いまや、「ググる」は古く、「Twitter」が取って代わるというニュースもあります。どこまで便利になるのでしょう。

【火之巻】の構成

20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
20. まぎると云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
まぎると云ハ、大分の戦にしてハ、人数をたがひに立合、敵の強きとき、まぎると云て、敵の一方へかゝり、敵くづるゝとミバ、すてゝ、又強き方々へかゝる。大方、つゞら折にかゝる心也。(1)一分の兵法にして、敵を大勢よするも、此心専也。方々へかゝり*、方々にげバ、又強き方へかゝり、敵の拍子を得て、よき拍子に、左、右と、つゞら折の心に思ひて、敵のいろを見合て、かゝるもの也。其敵の位を得、打通るにおゐてハ、少も引心なく、強く勝利也。一分入身のときも、敵の強きには、其心あり。まぎると云事、一足も引事をしらず、まぎり*ゆくと云心、能々分別すべし。(2) 

【リンク】(1)(2)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 20. まぎると云事

 まぎると言うのは、合戦の時に、敵味方の軍勢が向かい合った時、敵が強いと思う場合は、まぎると言って、敵の一方へかかり、敵の崩れが見えたら、直ぐに、又強い方に懸かる。概ねつづら折りに順次懸かる気持ちである。
 一対多の戦いでも、敵が大勢の場合はこの方法が良い。あちらこちらに懸かり、あちらこちらに逃げ、又敵の強い方に懸かり、敵の出方によって、よい拍子に、左、右と九十九折りのように、敵の反応を見て懸かるものである。
 その敵の勢力を知り、懸かり通れる時には、少しも怯まず強く勝つのに役立つ。
 一対一の戦いでも、敵が強いと思ったら、そのようにする。まぎる時には、少しも引く事はなく、まぎりぬくという事である。よく判断する事。

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 『私見』

 まず、「まぎる」と言う言葉を知っておく必要があるようです。「紛る」と書いて、古文では「まぎる」と読むそうです。(出典:学研全訳古語辞典) 又、「間切る」と書いて「まぎる」と同じ読み方をするようです。
 「紛る」の場合は、見まちがえる。区別できなくなる。又は、気が紛れると言うような使い方もあります。「間切る」は、「帆船が,間切り走りで風上に進む。」のような使い方をします。(出典:三省堂大辞林)
 武蔵は、九十九折のように進む事を、「まぎる」と言っていますので、波を切って進む船の様子から、そう書いたと推測できます。
 ただ、「紛る」の意味も捨てがたく、斬り進む様子は、正に相手の中に紛れ込むのではないでしょうか。

 この場合も、言葉に振り回されていますが、私は、その事より、「敵くづるゝとミバ、すてゝ、」(原文)の言葉が気にかかります。

 ただ、相手の軍勢を切り崩して、例えば本陣に斬り込むのであれば、腑に落ちる所です。

 でなければ、その軍勢と、最後まで優劣を競う場合には、止めを刺さずに次々に進めば、どんどん敵は増える一方になります。
 合戦を想定すれば、前者すなわち、本陣に斬り込む場合が、武蔵にとって自明の理であったのだと思う事にしましょう。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html


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