上に掲載してある、墨蹟の原文の文字、達筆ですね。今、通信教育ですが、お習字を始めて、10ヵ月になります。さらさらと、こんな風に書ければ良いですね。
さて、独行道の最初は【世々の道をそむく事なし】です。
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また、「その時」と言う意味で蜻蛉日記(かげろうにっき)(作者:藤原道綱母)は使っていますし、伊勢物語(作者不明)では、「それぞれの世」や「別々に過ごす世」のような使い方をしています。(出典:出典 小学館 デジタル大辞典)
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このように見ますと、案外、明確な使い分けは、していないように見えます。そこで、『昔から人々によって引き継がれた、人の取るべき道』と言った意味合いを言うのではないかと思います。
では、「人の取るべき道」とは、一体どういった事を言うのでしょう。よく、常識と言いますが、これも時代によってかなり変化しています。
『心の置き場』でも、社会的動物として人間を表現しています。
現代社会では、みんなが自己を主張して、自由と権利が自明だと思っているように思ってしまいます。この自由と権利を得るために、どれだけ歴史を重ねた事か、想像を絶する過去があったように思っています。自由からの逃走(エーリヒ・フロム著)などの書籍の存在を見ると、なんとなく想像できそうです。
逆説的に言うと、人間は社会を構成する事で、動物として生きていけるのではないかと考えています。
社会は組織ですから、当然規則があります。その目的は、社会を崩壊させないために、お互いに我慢しましょう、と言う事です。煩悩具足と言いますから、人間には互いを傷つけあう、本能があるのでしょう。
武蔵は、この独行道の初めに【世々の道をそむく事なし】の言葉を載せているのは、自分への戒めでもあったと、思います。武蔵ほどの強く才能に満ち溢れた、天才とも言える人は、自分では気づかない内に、人に対して、高圧的になったり、傲慢になったり、自分の兵法への思いから、押しつけがましくなったり、色々反省する人生であったと、私は思うのです。
その武蔵が『独行道』を表したのは、後に出てくる【我事尓於ゐて後悔を勢寸】のとおり、心の中では後悔する事が多かったのではないかと思っています。もし、自分の行動に『独行道』に載せたような事がなければ、その事すら気が付かないのではないでしょうか。
私は、常々『独行道』は、自省のものと考えていました。もしも、私の思いが的を得て居たとしたら、武蔵の人間性に好感を持ちます。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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