武蔵の「自誓書」として、亡くなる一週間前に書かれたものとされています。『自誓書』と言うと、自分に誓うための書、と言う事ですから、色々な意味に捉える事が出来ると思います。
一つは自分を律するために書く。一つは自分の生き方を反省する為に、あるいは、希望の生き方、目標として書く事もあるでしょう。そして、寺尾孫之允(丞)に与えていて、且つ、死の一週間前に書かれてあるので、遺言とも取れます。
どんな思いで、武蔵はこの『自誓書』を書いたのでしょうか。
さて今日は【身尓たのしみをたくま須】です。
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これを、私は、『身に楽しみを企まない』と読む事にしました。
では、もう少し、詳しく、この言葉を見ていきましょう。
「身に」と言う言葉は、「自分の生き方」としても良いかと思います。「楽しみを企まない」は、「楽しみをたくらまない」と読みます。「企まない」と言うのは、軽く考えると、「考えない」。もう少し悪く考えると、「画策しない」でしょうか。
武蔵は、求道者ですから、私から考えると当然の事だと思います。ただ、誤解される部分もあるかと思いますので、なぜ、楽しみを考えないのかを考えて見ましょう。
しかし、何故かを考えた事もありませんでした。それが人格者の生きる道とでも、思っていたのでしょう。
「名もなく貧しく美しく」と言う映画がありました。1961年1月15日公開とありますので、56年も前になります。
その頃から、経済的な幸せに対して、なんとなく違和感を覚えていたのでしょう。
しかし、求道者が『身にたのしみをたくまず』と言うのは、少し意味が違います。「紺屋の白袴」や「医者の不養生」は、人の為に一生懸命で、自分に構っていられない、と言う事です。求道者は、人の為では無いにしても、一途に求める道を歩むために、他の事に目を奪われている暇がないと思います。
では、仙人を目指す私はどうでしょうか。それも「こだわり」の範疇と思っています。もっと、気楽に、気楽に。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うではありませんか。
『独行道』の武蔵自筆とされる墨蹟には、変体仮名が使われています。次回には、変体仮名にもスポットを当てたいと思います。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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