独行道を読む
【よろ爪尓依怙の心奈し】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 【独行道】には、変体仮名が使われています。
 墨蹟原文から読み取る事ができた変体仮名を、毛筆で書いて下の表にまとめて見ました。この他にも変体仮名と思われるものもありますが、墨蹟自体の拡大したものを見る事ができませんので、読み取れる範囲にしておきます。

★下のバーをクリックすると『変体仮名一覧』を見る事ができます!!

『変体仮名一覧』

変体仮名 元になる漢字 平仮名
「尓」 【に】
「須」 【す】
  「寸」 【す】
「王」 【わ】
「爪」 【ず】
「奈」 【な】
「越」 【を】
「志」 【し】
「勢」 【せ】
「祢」 【ね】
「多」 【た】
「無」 【む】
「連」 【れ】
「可」 【か】
「三」 【み】
「古」 【こ】
「川」 【つ】
「本」 【ほ】
「与」 【よ】
「春」 【す】
「起」 【き】
「留」 【る】
「八」 【は】
「於」 【お】
「太」 【た】
「者」 【は】
「礼」 【れ】

   変体仮名と言うのは、現在でも、屋号や看板などには見られますが、ここでは「尓」と言う漢字を書いていますが、これは正確ではありません。
 私が漢字に置き換えた、「須」「寸」も、この漢字が元になり、変体仮名として使われていた仮名文字です。
 通常の草書とも若干異なる場合があります。「須」「寸」を元にして出来た変体仮名は、現在では「す」又は「ず」の平仮名を当てます。
 「尓」は、「に」の平仮名になり、「よろずにえこのこころなし」と読みます。数種の漢字を元にして、数種の変体仮名ができ、一つの仮名文字を表すのは、現在でも文章の中で、近くに出てきた言葉を続けて使わないようにするのと同じで、美的感覚から来ています。
 今、お習字を習っている関係で、臨書をしていますと、変体仮名が良く出てきます。今使う事は無くなっていますが、昔の歌や文章を読むためには必須の知識かも知れません。

 前回投稿の『身尓たのしみをたくま須』にも、「尓」と「須」がでていますので、この表を参考にしてください。

★下のバーをクリックすると『独行道全文』を見る事ができます!!

『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 よろす尓依怙の心なしも『万事に依怙贔屓する心なし』と意訳して話を進めましょう。
 依怙と言う言葉の意味を、頼ると解する説が一般的であるようですが、【佛神は貴し佛神をたのま須】と、神仏にも頼らない人が他に頼るとは考えられません。
 又、【依怙】と言う言葉を調べて見ますと、
  一方だけをひいきにすること。不公平。えこひいき。
 2 頼ること。また、頼りにするもの。
 3 自分だけの利益。私利。
  出典:デジタル大辞泉(小学館)
 と、2.の意味もありますが、私は、1.と3.の意味が強いと感じました。
 
 あまり、兵法には関係なさそうですが、単純に考えれば、文字通り、物事に偏って、好き嫌いしない、あるいは、私利私欲で物事を考えない、と言う事なのでしょう。
 私利私欲も、末尾が『心なし』ですから、自分の事だけを考えるのではなく、他人の事も考えると理解できます。また、公平・公正な目で見るとも捉えられます。

 武蔵は、五輪書の最後でも『たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空とみる所也。』と述べていますので、ここでは、1.の依怙贔屓と訳するのが妥当だと思います。

 では、なぜ、依怙贔屓しないと誓ているのでしょうか。武蔵は、全て、兵法を基軸に人生を過ごしてきたように思います。

 武蔵がこのような文章を残すという事は、やはり、迷いながら人生を送ってきたように思われます。吉川英治(宮本武蔵の小説の作者)氏も、この『独行道』からヒントを得て、人間らしさにスポットを当てたのではないでしょうか。 

 人間は、自分が好むと好まざるに関わらず、人を好きになったり、嫌いになったりします。また、脳科学の世界では、出会った瞬間、僅か0.5秒で、言葉を交わす前に、すでに好きか嫌いかを決めているという新説もあります。

 武蔵も例外なく、恋愛だけではなく、単なる人との関わり合いの中で、ジレンマに陥った事と推測できます。
 当然、人との関係で、好き嫌いが出来てしまうと、物事の本質を見通せない事が多分にあります。
 特に勝負の世界では、『男子三日会わざれば刮目して見よ』との慣用句に見られるように、決して相手を侮ってはいけないとの戒めもあります。この言葉の原文は、三国志の「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」(出典:三国志演義)が元だと言う事です。
 やはり、昔から先入観を避ける努力が、なされていたのだと思います。先入観も思い込みも、意味からいうと、依怙贔屓と同義語です。

 私は、社会生活の中で、一番苦労したのは人間関係でした。人間関係が一番ストレスであったと、思っています。どれだけ忙しい仕事でも、どれだけ難しい仕事でも、達成感もあり、やりがいも感じ、逆に幸せであったと思います。しかし、人間関係には本当に苦労しましたし、喜怒哀楽の怒哀が著しく表にでます。その感情を抑える事の方が、私には、仕事よりも苦痛だったと思います。

 武蔵も、戦いだけではなく、『よろす』と、色々な事に対してと、断っていますので、人間関係には人一倍、気も使い、苦労したんだろうと思います。

 まぁ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の譬えどおり、私の場合は、仕事を辞めてから、そんなストレスからは、解放されています。 
 

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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