独行道を読む
【一生の間よく志ん思王須】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 今回の一生の間よく志ん思王須は、昔も今も同じ意味の言葉と思われます。

  墨蹟では、   左のように変体仮名が書かれています。これは、左から [志][王][須] が元の漢字です。ここでは、それぞれ、「し」「わ」「ず」と、一生の間よくしん思はずと読みます。

『よくしん』について、考えて見る事にしましょう。

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『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 『よくしん』は、「欲心」と参考文献に書かれてあります。私も妥当だと思います。「欲心」と言う言葉の意味は、簡単に言うと欲張りと言う意味だと解釈できます。
  空手道という武道
「煩悩からの脱却」に載せてありますが、煩悩には「貪・瞋・痴」という根本の毒があると、仏法では考えられています。
 この三毒の中の「貪」が「欲心に当たります。

 私は、両親を亡くしてから、毎日「仏前勤行次第」と言うお経を上げていました。古希を迎え、その読経を止める事にしました。

 私は、お坊さんでもありませんし、特に信仰心がある分けでもありません。なぜか、母が亡くなった次の日から、ひたすら毎日「仏前勤行次第」を上げる事を日課にしていました。これも、代々真言宗であると聞いていましたので、その宗派に則った「仏前勤行次第」を購入しました。
 一応、間違った方法ではいけないと思い、高野山の高僧のお経が入ったCDを購入し何度か聞き、参考にしました。

 平成12年に亡くなっていますから、かれこれ17年の歳月が流れています。その間に父も亡くなりましたが、供養になったとも、自分の為になったとも思っていません。

 ただ、この「仏前勤行次第」の初めに書かれてあるのが、合唱礼拝、次に、懺悔(さんげ)があります。
 そこには、
無始よりこのかた 貪 瞋 痴(とん・じん・ち)の煩悩にまつわれて身と口と意(こころ)とに造るところの もろもろの つみとがを みな悉(ことごと)く懺悔(さんげ)したてまつる
 我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
 従身語意之所生 一切我今皆懺悔

と、書かれてあり、声に出して読経します。

 毎日毎日、声を出して読んでいますと、いやでも頭に残ります。そして、どんな意味なのか、知りたくなるのが人情です。

 しかし、毎日のように懺悔しても、一向に煩悩を無くすことなど出来ませんでした。まぁ、信心という事から程遠いものですから。
 ただ、このお経のお陰で、人間は煩悩具足である事に気付かされました。
 身と口と意(こころ)とに造るところの』を読むことで、ふっと、気付かされたのです。「あっ、そうか!」です。
 他から何か影響がある分けでは無く、自分の行動と、言う事、考える事が色々な罪や欠点を作っているのだと知らされたのです。

 武蔵が、一生の間と言っていますが、私は、一生の間、煩悩具足のままで終えるのだろうと予測しています。

 私がそうだから、武蔵も、とは言いませんが、私は、その欲の度合いが問題では無いのか、と今は思っています。

 「足るを知る」と、何度も、何度も言っていますが、この「懺悔」を「あっ、そうか!」と思った時に、この「貪・瞋・痴」の「痴」にあたる、愚癡(愚痴)を少なくする事が、出来るのではないかと思っています。

 『欲心』の発信元は、自分である事に、早く気付く事だと思います。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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