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『礼と節』を徹底解剖 Part-7

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 『十七条憲法』の内『礼と節』に関係すると思われる、十カ条を取り上げています。今回で五つの条の解明をしてきました。
 すこし、『礼と節』が分かりかけたような気もします。

 今日は第九条を取り上げて見ます。『真心』が大切であると言っているのですが、世の中に訓戒が数多くありますが、こういうシンプルな言葉ほど、中身を理解する事が難しいのではないでしょうか。あまりにも自明であり、知っていなければ恥、今更人に聞けない、などと言った気持ちが働くのも否定できないところです。

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  松濤五条訓の各条にも、そんな言葉が散見できます。
 第一条の『人格』、第二条の『誠の道』、第三条の『精神』、第四条の『礼儀』、第五条の『血気の勇』、ためらいもなく、分かったと言うような言葉ばかりです。しかし一つづつの言葉を、明確に説明できる人は、数少ないのではないでしょうか。

 前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』
第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 現代文を要約したものを下記に示してあります。バーをクリックすると見る事が出来ます。
『十七条憲法 現代文要約』
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 本日のテーマは、『十七条憲法』第九条です。
 漢文は『信是義本 毎事有信 其善悪成敗 要在于信 群臣共信 何事不成 群臣无信 万事悉敗

 読み下しは、『信是義の本 毎事に信有るべし それ善悪や成敗は 信在ることを要する 群臣共に信あれば 何事か成ら不ん 群臣信无くば 万事悉く敗れる』としました。

 現代文は、『信は道理の基で、何事にも信が有る必要がある。善悪、正否には信があるかないかである。群臣共に信があれば、何事も成就できる。群臣に信が無ければ、何をしてもことごとく失敗する。』このように訳して見ました。

 冒頭でも記述しましたが、ここに出てくる「信」もその一つです。儒教が説く五つの徳目で、五常とか五徳と言われる仁・義・礼・智・信の中の「信」を指します。
 日本の書き言葉は、概ね漢文から来ていますので、当時は「信」と言えば自明だったのでしょう。時代を経て、日本特有の漢字や語彙が増えていくと、本来の漢字の意味自体を喪失してしまいます。また、漢字も簡略化されたり、違う漢字と置き換えられたりして、専門家でない限りよく分からないのが現状です。

 分らなときは、辞書を引く方が良いでしょう。そこで、「信」を探して見ましょう。家の中にある大辞林で調べて見ますと、
1.あざむかないこと。いつわらないこと。忠実なこと。まこと。儒教では五常の一つとされる。
2. 疑わないこと。信頼すること。信用。
3. 宗教に帰依すること。また、信仰する心。信心。
(出典:大辞林 第三版 三省堂.)

 この中の「まこと」という言葉は、真・実・誠のどの漢字も『まこと』と読めます。松濤五条訓にも「誠の道」と言う言葉が見られますが、「信」とは、『ウソをつかない心』、人を騙したり、欺いたり、疑ったりしない生き方の事を言っているように思います。これを「真心」、「真実の心」、あるいは「誠実」と言っていると思います。
 そこで、『信』を『真心』として見ます。そして、もう一度、現代文を要約すると、『真心は人の言動の基軸でなければならない、だから何事にも嘘偽りがあってはならない。善いことや悪いことも、あるいは、正しい事、間違っていることを判断する時にも、その根底に真心があるかないかで判断できる。権力のある者も、それに従う者も、共に真心があれば、何事も成就できる。また、共に真心が無ければ、何をしてもことごとく失敗する。』こんな読み方をしてみました。

 私は、ものが分かるという事を、 「五輪書」から学ぶ Part-45に書きましたが、『理解力・咀嚼力・表現力』と言う三つの過程を経てようやく『わかった』と言えると思っています。

 教養のある人は、漢文を読んだ時点で理解できるのでしょうが、知識も教養も、「いまひとつ」の私は、こうして意訳してみないと、なるほどとは思えません。しかし、これを自分の断片的な知識と照らし合わせ、経験を思い浮かべ、腑に落ちるまで納得した上で、習慣にして、初めて『わかった』と言えると思っています。

 「嘘をついたことなど一度もない」と言う『嘘』、と言う通り、油断すると人間は、嘘をつき、人を欺き、騙す性質を持っているように思います。これも、『礼節』に欠ける事になると思います。

 同じ嘘でも、『嘘も方便』の嘘には、相手を思う心があると思います。この場合は『礼節に欠ける』とは言えないでしょう。
 しかし、この相手を思う心にも、『信』が必要です。独りよがりの思う心は、『小さな親切大きなお節介』になりかねません。また、『信』や「道理」とよべるほどの教養も身に付けたいものです。
 『礼節』と言うのは、受けるのも難しいし、行動に起こす事も難しい事です。『作法』が出来るようになったからと言って、『礼節』があると思わない事ですね。

 それでも、最近のニュースでよく見かける「ストーカー」をする人などは、自分なりの『信』、すなわち嘘偽りのない気持ちがあるのでしょう。ただそれが行き過ぎているのだと思います。過去には猟奇小説になるような事件もありました。

 もちろん、これは病気と呼ばれた方が良いのだと思いますが、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』で、『礼節』も下の図に掲げた節度の壁を越えないようにしたいものです。

(この図は日本空手道髓心会ホームページの『礼と節』の項目内で自作したものです)


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