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『礼と節』を徹底解剖 Part-11

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 テレビ視聴者として、一言。
 
 私はこう考える。という人は、賢い人だと思います。これはあくまでも私見で、皆がそう考えてると検証した分けでは無い事を表しています。

 私の言う事は、正しいと言う人は、流石にいないと思いますが、最近テレビを視聴していて思うのは、他の出席者に反論させないような同意の求め方をする司会者がいます。局の指示なのか、思惑なのかは分かりませんが、MCと呼ばれる人が、あまりにも権力を持ちすぎて、その人の意見が強引に通されていくのを観ると、なんとも後味の悪い番組になってしまいます。

 自分と違う意見を言ったら、まるで次には番組にださないぞ、と言わんばかりの剣幕で相手の意見を制します。これも笑いを取るためのテクニックなのでしょうか。

 前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』
第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 現代文を要約したものを下記に示してあります。バーをクリックすると見る事が出来ます。
『十七条憲法 現代文要約』
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 本日のテーマは、『十七条憲法』第十五条です。
 漢文では、『背私向公 是臣之道矣 凡人有私必有恨 有憾必非同 非同則以私妨公 憾起則違制害法 故初章云 上下和諧 其亦是情歟』。

 読み下しでは、私に背き公に向うは 是臣之道矣 凡そ人と私が有ば必ず有り 憾み有ば必ず同じく非ず 同く非ば則ち私を以て公を妨ぐ 憾起は則ち制に違え法を害す 故に初の章に云く 上下和を諧えるは 其亦是情歟』。

 では現代文にして見ましょう。
 『私心によらず公務に向かうのは、臣下としての道である。皆、私心があれば必ず恨みが生じる。憾みあれば必ず背く事になる。背く気持ちがあれば、私心で公務をさまたげる。憾みが起これば制度を破り法を犯す。ゆえに、初めに挙げたように、上の者も下の者も共に和む事が叶えられるように言った言葉である』

 この条は、一言で言えば、「素直」という言葉を充てる事によって理解出来るのでは無いでしょうか。

 私の若い頃を振り返ってみますと、兎に角、素直では無かったように思い、反省することばかりです。ここに書かれてあるように、私心と思えれば、少しは素直になれたのかも分かりません。私心と言うとなんだか格好が良い響きですが、自分勝手な考えの事を言います。

 なぜ素直になれないかと言いますと、相手の言う事にいちいち納得がいかないからです。これは、言い方を変えると、自分の考えが正しい、と思っているからだと思います。今でもそんな考えが時々、顔を見せます。
 そんな時に、「断片化された知識量で人を試す戦後教育の犠牲者なのかも知れません。」【(光延 昴毅)氏(国際開発コンサルタント)】を思い出す事にしています。

 私たちは、戦後の教育で自分の意見を言える社会を築いてきました。しかし、折角自分の意見が言える機会を与えられたにも拘わらず、知識量が足りなさすぎだと思っています。特に私のように勉強もろくにしなかったにも拘わらず、ある程度の地位に就いた者は、勘違いしてもおかしくないのではないかと思います。これは、あくまでも言い訳に過ぎません。もっともっと確かな判断ができるような知識を得る必要がありそうです。
 しかし、私の人生は、私が正しい判断が出来る知識を得るまで、続くとも思えません。
 であれば、『礼節』を欠かないために、「素直」になる事がもっとも手っ取り早い方法かもしれません。

 私は何か教えてもらう時には、「瀉瓶*」という方法をとります。実に私にとっては、適した方法だと思っています。この方法でなければ、何かと、疑問が浮かび、口は挟まないまでも、反論ばかりが頭を占領し、何も教えを受けられなくなります。そんな時には、自分勝手な考え方を、横に置いておいて、まず、受け入れる事を優先します。

 自分が正しいと思っているのですから、直ぐには自分の考えを捨てる事ができません。ですから、ちょっと横に置いておくのです。「朝鍛夕錬」ですから、学んだことを復習する事も大切です、いわば反芻するのです。その時に、ちょっと横に置いてあった自分の考えと議論するのです。相手は自分ですから、人に対してよりは「素直」になれます。その結果、習ったものは、自分の考えとして定着していきます。一度では無理だと思いますが、何度も繰り返し反芻する事で、身に付けられると思っています。

 人から教えてもらう時には、このようにして「素直」になれるのですが、議論となると、またまた「素直」さの欠片も出てきません。「断片化された知識量・・・」という光延昴毅氏の言葉を思い出して、『礼節』を欠かないようにしたいものです。

【言葉の意味】
 瀉瓶 : 瓶びんの水を他の瓶にうつしかえる意〕 仏教の奥義を師から弟子にもれなく伝えること。写瓶相承。[出典]『大辞林 第三版』三省堂.


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