この『論語』に登場する南子と言うのは、女性の事です。でもただの女性ではなく、衛の国の君主である霊公の夫人です。この夫人は宋の国の出身で、衛の国より大国であり、霊公と結婚してからも好き放題し、不倫も公然としていたという、評判があったとされています。
好色な女性で、日本では谷崎潤一郎が「麒麟」という短編小説を書くのに南子をモデルにしているという事ですので、相当な妖艶な男心を惑わす女性だったのでしょう。
この『論語』は、好色とは言え、一国の皇后ですから『現代人の論語』の副題に「謁見」の文字があっても不思議ではないと思います。しかし、『論語』の文章には、ただ「見る」としか書かれていません。
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とりあえず、『論語』を読んで見ましょう。
●白文
『子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之』。
●読み下し文
『子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)よろこばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰(のたまわ)く、予(わが)否(ひ)なる所のものは、天これを厭(た)たん、天これを厭たん』。(雍也篇6-28)
私は、この文章を読んで、谷崎潤一郎が想像したであろう場面は、伺い知ることができません。それも、谷崎潤一郎の小説を全く知らない私が言うのもおかしいですが、純文学から大衆娯楽的な分野まで幅広く小説を書いた人と言う事しか知りません。どちらかと言うと、猥雑な物を取り上げると言った印象です。
『論語』を解説している他の文献にも、この文章に関しては色々な評価があります。
『論語』を読むにあたって、参考にしている「現代人の論語」にも、南子の「多淫な思いがあっても不思議ではない」としていますが、どこにそういう想像を掻き立てる一文を見る事ができるのでしょうか。
「現代人の論語」にも書かれていますが、かの有名な司馬遷の史記に描かれた事が多分に影響を与えていると思います。史記は司馬遷が編纂された歴史書とされていますが、「小説的な粉飾」と吉川幸次郎氏(中国文学者)が書き、白川静氏(漢文学者)も「拙劣な小説に似る」と「現代人の論語」に見られますが、呉智英氏(「現代人の論語」著者)は、司馬遷の直観に与(くみ)したい。と書いています。
私には、どちらの考え方にも同意できません。学者は学者の考えでそれぞれ評価されて、自らの学問に生かされれば良いと思います。
孔子が南子の色香に惑わされ、もし間違いを犯していたら、天がこれを受け入れない、と孔子が言う事を素直に受け入れれば良いのではないでしょうか。
最近流行の、「一線を越えていません」と言うような、軽々しい言葉を孔子が言うのでしょうか。
『天これを厭(た)たん、天これを厭たん』と繰り返して否定する事が、怪しいなどと、下衆の勘繰りはやめたいものです。
私が問題にしたいのは、一線を越えたかどうかではありません。そんな事は、どうでもよい事です。それより、この文章がなぜ『論語』にあるのか、という事に興味を持ちます。
『論語』の何たるかを知っている分けではありませんが、日本では聖徳太子以前から、政治の在り方、人間の生き方、故事として、勉学の基礎として学んできたのではないでしょうか。
孔子を神格化する必要もないと思いますが、少なくとも『論語』は、孔子とその高弟の言動を、後の時代に記録した書物であることに違いは無いと思います。
であれば、普通に考えて、孔子の人間性を醸し出すような逸話ならいざ知らず、孔子の人格まで傷つけるような事を、書き残すのでしょうか。
ここで、人格まで傷つけると書きましが、男女の交わりが傷つけるかどうかは、時代により違いますし、まして2500年も前の、しかも中国の戦国時代ですから、日本の源氏物語や伊勢物語のような、今では考えられない男女の関係があったかも知れません。ようするに道徳観が全く違います。
これは何も2500年も遡る必要もありません。私が幼い頃から考えても男女の道徳観は、まったくと言っていいほど変わりました。
しかし、南子と言う噂に高い男心を惑わす女性と、会う事さえ、高弟の子路が否定するような事を、しかも孔子と南子が関係を持ったなどと、わざわざ『論語』に編纂するものかと思っています。
ですから、変な憶測を止め、そんな噂の妖艶な美女にも、孔子は心を動かす事は無かった、邪推している子路の方がおかしい。と解釈すれば良いのではないかと思います。
親鸞聖人が書き残した『歎異抄』に、「たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」と言う文章があります。(出典:童門冬二(1973-1978)『親鸞★物語と史蹟をたずねて』成美堂出版株式会社.)
弟子であれば、この位の覚悟が欲しいと思います。
【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.