文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【139】

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 今日の文字は『かざり』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十八段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『今年の一皿」はあの青魚 健康志向で人気、缶詰も多彩』
(朝日新聞DIGITAL 2018/12/07 08:27)

 今年の世相を最も反映する食の一品を選ぶ「2018年 今年の一皿」に「鯖(さば)」が決まった。飲食店の情報サイトを運営する「ぐるなび」などが6日、発表した。素材やデザインにこだわった多彩な缶詰が登場した上、1年を通じて災害が相次ぎ、非常食の備蓄にも関心が集まったことなどが理由だ。——後略

 魚が良い事は、十分承知していますが、私は肉派です。しかし、テレビでは、この記事のようにサバが良いと言います。

 テレビで勧める番組があると、次の日の夜は鯖です。一昨日の夜は、鯖を焼いて食べました。時々美味しい鯖に出会いますが、一昨日の鯖は、まあまあでした。

 魚をおいしく食べられる人は、幸せですね。昔東京にいるころ、青森出身の人が、東京の魚は腐ってる、と言っていた事を思い出しました。新鮮な魚は、美味しいと思います。その人は舞の海さんのいとこだったようです。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十八段 〔原文〕

 「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍が、

   かくれどもかひなき物はもろともに みすの葵の枯葉なりけり

と詠めるも、母屋もやの御簾に葵のかゝりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける」ともはべり。枕草子にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり」とぞ書ける。己と枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞ取り捨つべき。

 御帳にかゝれる藥玉も、九月九日、菊にとりかへらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲・藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ音をなほぞかけつる」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍從が詠みしぞかし。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『「祭りが過ぎれば、葵の葉は不用である」と、ある人が簾に掛かっている葉を全て取り去ったが、風情の無い事と思った。しかし立派な人がしたのでそういうものかと思っていたところ、周防の内侍が

かくれども かひなき物は もろともに みすの葵も 枯葉なりけり

[人目につかないよう、掛けて置いた葵も、今はもう価値が無くなった。御簾の葵も一緒に枯れ葉になってしまった]私訳。
私見『祭りの日に一緒に見た青々した葵の葉も、今は二人で見る事もできない、葵の葉のように枯れてしまった』とでも思ったのでしょうか。

と詠んだ和歌も、母屋の御簾に掛かっている葵の枯葉を詠んだと私家集に書いてある。

古い和歌の前書きにも「枯れたる葵にさしてつかはしける」」とある。枕草子にも「來しかた戀しきもの。かれたる葵」と書いているのは、大変嬉しい。鴨長明が「四季物語」にも「玉だれに後の葵はとまりけり」と書いてある。
自然と枯れてしまうものもあるのに、跡形もなくどんな思いで捨てられるでしょう。

御帳台みちょうだいに掛けてあるくす玉も、9月9日に、菊に取り換えられる。菖蒲は菊に変えられるまで掛けてあるべきだろう。枇杷の皇太后宮が亡くなられた後、古い御帳台みちょうだいの内側に、菖蒲・薬玉などが枯れているのを見て、「折ならぬ音をなほぞかけつる」と連絡係の乳母が詠むと、返歌で「あやめの草はありながら」と江侍従が詠んだ。』

【参照】
帳台 (1)寝殿造りの建物内に設けられる調度。一段高く作られている浜床に畳を敷き、四隅に柱を立て四方に帳をめぐらす。貴人の寝所として用いられるもの。(2) 塗籠ぬりごめ・納戸なんどの類。
(出典 :大辞林第三版 三省堂.)
薬玉 種々の香料を錦(にしき)の袋に入れて、菖蒲(しようぶ)・蓬(よもぎ)の造花で飾って五色の糸を長く垂らしたもの。邪気をよけ、不浄を避けるものとして、五月五日の端午の節句に、柱・簾(すだれ)などに掛けたり身に着けたりした。
(出典 :学研全訳古語辞典 学研.)

 

 

『飾』

 さびの世界は、芭蕉によってつくられた世界だと思っていました。しかし、この鎌倉時代の末期、吉田兼好が生まれるずっと前から、日本の美意識としてあったようです。

 「侘び」と「寂」には違う意味があるらしいので、意味を辞書で調べて見ました。

 「侘び」は、【(1)飾りやおごりを捨てた、ひっそりとした枯淡な味わい。茶道・俳諧の理念の一つ。(2) 閑静な生活を楽しむこと。 「 -住まい」(3) 落胆。失意。つらく思うこと。】
(出典 :大辞林第三版 三省堂.)
 「寂」は、【(1)古びて趣のあること。閑寂の趣。さびしみ。しずけさ。(2) 枯れて渋みのあること。また、太くてすごみのあること。(3) しおり・細みなどとともに、蕉風俳諧の基調をなす静かで落ち着いた俳諧的境地・表現美。(4) 謡や語り物の発声の一。】
(出典 :大辞林第三版 三省堂.)

 これを、風情と見るか、趣と見るか、または、薄汚れたとか汚いと見るかは、現在の社会では自由だと思います。

 しかし、兼好法師の時代では、この「侘び寂」を感じないようでは、無教養で愚かな人と言われてしまうのでしょう。

 好みは人それぞれで違うと思いますが、兼好法師の時代では、教育の在り方がそんなに自由でもなかったかも知れません。

 そして、その教育を受けていない人は、このような「侘び寂」について風情を感じる事も無かったのかも知れません。

 少し、疑問に感じるのは、兼好法師は出家の身で、少なくとも僧侶だと思います。時々、無常観についての記述が見られます。

 であれば、古いから、風情があるとか、あるいは趣がある、などと思いにふけるのでしょうか。

 自然と枯れるまで待つもよし、枯れる前に取り除くのもよし、と達観していない所に、兼好法師の人を現わしているのかも知れません

 俳句や和歌の世界では、「春」たけなわを詠ったものではなく、確かに、次に紹介するように、「春」が過ぎゆく様子を詠ったものを見る事ができます。 

 紀貫之は、兼好法師が生まれる遥昔の歌人で三十六歌仙の一人です。書も「高野切」という現存する最古の写本と言う事ですが、昔は紀貫之の筆とされていました。今では写本と言う説が定着しています。したがって「紀貫之」の文字を見る事ができます。

 書はさておいて、その紀貫之の和歌に次のようなものがあります。

 はなもみな ちりぬるやどは ゆく春の
       ふる里ととこそ なりぬべらなれ
   

 「花もみんな散ってしまった家は、過ぎ行く春のふる里になったようだ」

 俳句では、松尾芭蕉が遺している句もあります。 

 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 

 「この句は芭蕉が旅立つときの心境を詠んだものとされています。それを鳥や魚まで別れを惜しんでいるというものです。」

 次に小林一茶と言えば、

 雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
 やれ打つな 蠅が手をすり 足をする
 やせ蛙 負けるな一茶 是にあり

 と言うのが有名ですが、次の句も遺しています。

 ゆさゆさと 春が行くぞよ 野べの草

 以上のような、春が行ってしまう情景を、自身の気持ちと重ねて詠んでいますので、やはり「侘び寂」を高く評価しているのだと思います。

 確かに、日本の文化には、「いき」があります。ちょっと崩すと、着るものでも、食べ方でも、居住まいでも、風情を感じるような民族なのでしょう。

 例えば羽織でも、外は地味でも中を派手にするとか、色々の工夫を隠して見せるような、そんなDNAを感じます。

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