スポンサーリンク
今日も松濤二十訓の中から「空手に先手なし」と言う言葉を書いて見ました。
「先手必勝」と言う言葉が頭をよぎります。これを座右の銘にしている人もいます。
確かに戦う場合、と言うより戦う事が必然である場合には、相手の機先を制する事が大切な要素だとは思います。
「懸」と言う言葉が、宮本武蔵の遺した「五輪書」()にも出てきます。この中に「三つの先」とありますが、「懸の先」「待の先」「躰躰の先」と、すべてが「先」に関わってきます。
自分から仕掛ける場合も、待って相手が出る所を仕掛ける時も、相手と揉み合っている時も、すべて自分が懸かるタイミングを見計らっての事です。
すべからず、戦いの場においては、私も「先手」と言うものが勝つための仕方だと思います。
では、私はどうなんでしょう。過去に自分から手を出した記憶はありません。
ただ、これも「五輪書」にある「枕をおさゆると云事」や「けんをふむと云事」と同じで、相手の出方を観察する事は怠らないようにしたと思います。
それでも、最初の一撃をもらった事は度々ありました。もしこれがダメージを受ける程強かった場合には、勝負は負けになっていたと思います。
ここで富名腰義珍翁が言われている「空手に先手なし」は、そう言う意味では無いと思っています。要するに自分から戦いを挑まない事ではないでしょうか。
スポンサーリンク