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今日も松濤二十訓の中から「凡ゆるものを空手化せよ 其の処に妙味あり」と言う言葉を書いて見ました。
今、拠り所と書きましたが、何かにつけて空手道を軸にして考えたと言う事です。
不思議な物で、何かに置き換えて考える事が出来るのは、寄らば大樹の陰と言いますか、自信を持って行く道を決定できると思います。そして、たとえその道が間違っていても、自分が自信をもって決断した事ですから、納得が出来ます。人のせいにせずに済むと思います。
拠り所は、信頼する人や先輩、あるいは先生などが、自分の人生に深いかかわりを持ってくれますが、それを受ける側、すなわち自分が揺るぎの無い受け皿の必要があります。その意味でも、私にとっての空手道は、大きな木と同じ要素があったような気がしています。
この一条『凡ゆるものを空手化せよ 其の処に妙味あり』は、正に妙味のあるものだと思っています。私には妙味と言うより、頼りがいがあると言った方が良いかも知れません。
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