文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【151】

 今日の文字は『せい』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百五十段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

★『“強制労働”韓国人ら約1,100人 韓国政府を100億円求め提訴』
(FNN.jpプライムオンライン 2018/12/18 20:35)

「第二次大戦中に強制労働をさせられたと主張する韓国人らおよそ1,100人が、日本企業ではなく、韓国政府を相手取り、総額110億円の補償を求める訴訟を起こすことがわかった。

日本企業で強制労働させられたと主張する韓国人と遺族あわせておよそ1,100人は、1965年の日韓請求権協定で、3億ドルの無償資金援助を日本から受け取った韓国政府が補償するべきだと主張し、1人あたりおよそ1,000万円、総額110億円の支払いを韓国政府に求めるとしている。

韓国では、日本企業に賠償支払いを命じる判決が相次ぎ、日韓関係の悪化が深刻化しているが、韓国政府に補償を求める今回の訴訟は、日本政府の主張と合致する部分があり、裁判の行方が注目される。」

 今まで韓国は、ちょっと自国の主張が過ぎるのではないかと、思っていました。

 しかし、この記事を読んで、真面に現実を見る人がいる事に、正直ほっとしました。

 それにしても、現在の貨幣価値から言うと、法外な金額ですね。きっと1965年当時の1ドル360円で計算したのかも知れません。(これ例によって、私の計算間違いでした。1100億円と勘違いでした。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百五十段 〔原文〕

 能をつかんとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ。内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、ならびなき名をうることなり。
 天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾かきんもありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒ほうらつせざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。

 

 

『現代文』

『技芸を身に付けようとする人、「下手なうちは、軽はずみに人に知られたくない。内緒で練習をし、上手くなってから人前に出ると、とても奥ゆかしい」と常に言われるが、このように言う人は、一芸も身に付ける事がない。まるで不完全なころから、上手い人の中に交じって、貶され笑われても気にせず、構わずに稽古する人が、天性が無くても、道に行き悩む事なく、むやみやたらにしないで年を経れば、終には上手の位に至り、徳が出来て、人に認められ、並びない名前を得る事になる。

 天下に知られた上手と言っても、初めは上手くないと言われ、甚だしい欠点もあった。しかし、その人がその道の方法を正しく、これを重んじ、勝手な振る舞いをすることがなかったら、世の中の手本として、万人の師となる事は、どんな道でも変わるはずがない。』

 

 

『成』

 物事を成す場合には、確かにここで言われている方法もあります。しかし、『有言実行』『不言実行』もあります。

 どちらかと言うと、『有言実行』の方が潔いように思います。『不言実行』は、奥ゆかしいと言うよりも、出来なかった時のヘッジのような気もします。

 ちなみに、リスクヘッジと言った方が分かり易いかも知れませんが、回避と言う意味で、予め失敗した時のリスクを考えて対処しておく事です。

 『不言実行』の場合は、回避する必要もありません。人に知られていないので、その必要もないでしょう。ですから、すこし卑怯なやり方のように思ってしまいます。

 しかし、物事を達成したい場合は、達成しなくても良い所に自分を置きますので、余程強い意志が無いと、逃げ場を初めから作っているようなものですから、折角意を決してやろうと思っても挫折してしまう事もあるでしょう。

 この段にはそしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人』と書かれていますが、打たれ強い人は、しっかり恥じて、気にする方が、より励みになると思います。

 『有言実行』はそんな人向けですが、これも、程度問題で、自分が潰れてしまうような気にし方は、勧められません。何でもほどほどが良さそうです。

 しかし、何かを成そうとした時、あるいは、自分が少しでも向上したいのであれば、ある程度の負荷は必要な事も事実です。

 『天性その骨なけれども』と原文にはありますが、確かに天才と呼ばれる人がいる事も事実です。現に私の親友は天才でした。

 天才でも、その道に精進しなければ、そのまま成就するとは思っていません。

 であれば、凡人でも成就できる可能性もあると思っています。その道に精進すれば良いのですから。

 前にもこのブログで記述しましたが、『天才とは、努力する事ができる才能を持っている人』と思っています。先述した生まれながらの天才に、もしかしたら並ぶことができるかも知れないのが、この努力です。

 しかし、努力ですから、行く道を阻む壁を越えてこそ努力です。それは挫折するかも知れないような、大きな負荷になるかも知れません。

 ここで、挫折するようでは、成就できません。 私は乗り換えられない壁は、乗り越えなくても良いと思うようになりました。

 『神様は乗り越えられない試練は与えない』と言う言葉を聞きますが、私は、そうは思っていません。時には、乗り越えられない試練もあるのが現実です。

 では、どうすれば、凡人がその壁を乗り越えられるのでしょう。ある程度の負荷は感じた方が良いと思います。それでも、越えられない時は、決して潰れるまで挑戦しない事です。

 こんな時は、行く道、方法を変える事です。きっとある程度の負荷に耐えた人は、名案が浮かぶと思います。目的は達成する事です。計画は常に変更すれば良い事です。

 あの手この手と知恵を振り絞って、達成すると、気持ちの良い物です。