文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【158】

 今日の文字は『しょく』です。れると言います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百五十七段』を読んで見て、感じた文字です。

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★『公開質問状、開封され返送=領土議連「独善的な行動」-韓国議員の竹島上陸』
(時事通信社 2018/12/25 16:42)

 「超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の新藤義孝会長(自民)らは25日、衆院議員会館で記者会見し、島根県・竹島に上陸した韓国の国会議員に送った公開質問状が送り返されてきたと公表した。回答やメッセージはなく、新藤氏は「非常に残念だ。一方的、独善的な行動しかしない国の未来はとても心配だ」と批判した。

 質問状は竹島が韓国領だと主張する根拠を尋ねる内容。10月に上陸した李燦烈教育委員長ら13人に対し11月9日に発送。同26日に12人分が開封された状態でまとめて返送されてきた。1人分は入っていなかったという。」

 「もう、ほっといたら!」と言いたいのですが、領土問題はそうもいかないですよね。

 これだけ、やることなす事すべてにおいて、日本の常識とは食い違う国は、他にはあるのでしょうか。

 私は大阪に住んでいますから、韓国や北朝鮮の国の人との接触は意外と多いと思います。生徒の中にも大勢韓国籍や北朝鮮籍の者がいました。

 こんなに、話しのキャッチボールが出来ない人達では無かったと、思います。

 歴史を振り返っても、朝鮮半島の人から文化や文明を学んだ事もあります。いつの時代から、こんなにわからず屋の国になってしまったのでしょうか。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百五十七段 〔原文〕

 筆をとれば物書かれ、樂器をとればをたてんと思ふ。杯をとれば酒を思ひ、賽をとればうたむ事を思ふ。心は必ず事に觸れて來る。仮りにも不善のたはぶれをなすべからず。

 あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。假に今この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これすなはち觸るゝ所の益なり。心更に起らずとも、佛前にありて數珠を取り、經を取らば、怠るうちにも、善業おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床じょうしゃうに坐せば、おぼえずして禪定なるべし。

 事・理もとより二つならず、外相げさう若し背かざれば、内證かならず熟す。強ひて不信といふべからず。あふぎてこれをたふとむべし。

 

 

『現代文』

『筆をとれば字を書き、楽器をとれば音を奏でようと思う。盃をとれば酒を飲みたくなり、サイコロをとれば双六をしようと思う。心は必ず触れて起こる。仮にも悪い遊びはしてはならない。

 ちょっとだけでも仏典の一句を見れば、何となく前後の文章も見える。突然長年の非を改める事もある。仮にでも今この経典を見なければ、この事を知る事がない。これは触る事の良い所である。心から湧き上がらなくても、仏前で数珠を取って、経を読めば、怠けながらでも、善行を自然に修められ、乱れた心であっても坐禅すれば、知らない間に悟りが開ける。
 
 起こる事と理論は元来一緒のものである、外に現れた様子が良ければ、真理は必ず達成できる。強いて信心がないと言ってはならない。敬い尊ぶべきである。』

 

 

『触』

 ここでは、物事の道理を説明していると思います。

 自分の立ち振る舞いは、心から起こるものであり、心は、その立ち振る舞いによって出来ると解釈しています。

 この段で目を引くのは『心更に起らずとも』そして『強ひて不信といふべからず。』と書かれてあることだと思います。

 『心更に起らずとも』は、気が乗らなくても、とか、いやいやでも、と言う意味ですから、兎に角やって見ている内に自然に、身に付いてくると言っています。

 『強ひて不信といふべからず。』は、本気になっていない修行でも、信心が足りないと非難してはいけないと言う事です。

 この二つの言葉は、『事・理もとより二つならず』と言う、ここで言われている原理から来ています。

 あながち否定できないのは、『門前の小僧習わぬ経を読む』と昔からよく言われますが、これも私の体験上、腑に落ちる事があります。

 小学校の先生が家にやって来て、両親に私の字が余りにも汚くて、試験の答案が読めない。と言われた事は、前にも書きましたが、その私が、曲がりなりにも人に字が上手いと言われるようになったのです。

 もちろん、そんな経緯がありますから、今でも上手とは思っていません。ですから、専門家がどのような評価をするのか、今回試して見たのです。

 これも、姉が書道をしていて、横で見ていたり、墨を磨らされたり、作品を選ばされたり、日常に書道を観賞する機会があったのでしょう。

 姉は書道の天才と思っています。小学校一年生の時に書いた文字は、今の私よりも数段上手く書けていました。高校生か大学の時か忘れましたが、毎日書道展の無鑑査になったのですから、もし財力があれば、相当の書道家になっていたと思います。

 第16代アメリカ大統領リンカーンが「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったと言われています。

 あまり顔の事を言われると、自信がありませんが、これも、『事・理もとより二つならず』と言う事に等しい表現だと思います。

 常に思っている心が顔に現れると言う事でしょう。優しい人には優しい顔が、厳しい人には厳しい表情が、そして悪人には、やはりそれなりの顔つきになるようです。

 万が一、八十歳を超える事があれば、好々爺になっていたいと思います。