文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【42】

 今日の一文字は『愚』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第四十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 智慧

 
 昨日、東京書道教育会から正師範の免状が届きました。

 免状が届くと、実感が湧きます。平成30年8月1日と日付がありました。

 実感は湧きますが、実際には免状が届けば上手くなったわけではありません。これは、空手道でなんども経験していますから、これから、書道の道を歩む事になると思います。

 これからの目標は、東京書道教育会の最高段位、5段を取得するために頑張りたいと思います。さて、いつごろ取得出来るのでしょう。

 昨日5つの課題の内、2つを提出しました。結果はまた2週間後になります。しっかり書いたつもりですが、再提出になる可能性もあります。めげずに最後まで頑張るつもりでいます。初めから再提出を予想すると言うのは、良くないですね。でも今の実力は、そんなもんでしょう。

 朝方、凄い雷と共に大雨でした。今は曇っていますが、爽やかな風が吹いています。一日ぐずついた天気のようです。

 台風は4日ごろに室戸岬の方に近づきそうです。四国、紀伊半島、奈良、三重のあたりも台風の右側になるので注意が必要かも知れません。次から次へと台風が来ていますが、例年だとこれからが台風の季節ですから、どうなるのでしょう。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第四十一段 〔原文〕

 五月さつき五日、賀茂の競馬くらべうまを見侍りしに、車の前に雜人ざふにんたち隔てて見えざりしかば、各々下りて、らちの際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。

 かゝる折に、向ひなるあふちの木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたうねぶりて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死しゃうじの到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。

 かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『  五月五日に上賀茂神社に競べ馬を観に行ったのだが、牛車の前に大衆が妨げになり、見る事が出来ないので、皆が牛車から下りて柵の際まで行こうと思ったが、更に人が多く分け入る事もできない。

 そんな時に、向かい側にある栴檀せんだんの木に、法師が登って、木の枝の股に座り競馬を見ていた。

 手で枝を持ったまま、すっかり居眠りしてしまい、落ちそうになるたびに目を覚ます事が度々あった。

  この様を見た人が馬鹿にして「大変な愚か者だ。こんな危ない枝の上で安心して寝ている」と言うので、ふと心に思ったまま「私達に死が来るのは今かもしれない。それを忘れて競馬の見物をしてその日を暮らしている。枝に腰かけて居眠りしているよりも、愚かだ。」と言うと、前に居た人達は、「誠に言われる通り。自分たちが最も愚かだ。」と、振り返り「こちらにいらっしゃい」と場所を開けて、招いてくれた。
 
 この程度の道理は、誰でも思いつくだろうが、間がよく胸に響いたのだろう。
 人は、木や石ではないので、間が良ければ、物に感じる事も無いわけではない。』

 

『愚』

 五月五日は、私の誕生日、そして男の節句しか知りませんでしたが、京都の上賀茂神社で競馬があったとは知りませんでした。

 競馬と言っても、2頭で優劣を競うそうです。1093年から現在まで営々とその様式を受け継がれているようです。「くらべ馬」とも「こまくらべ」とも言われています。
 
 現在でも昔の装束に身を固めて約200mを疾走するようです。今回ブログを書くために写真で見ましたが、一度見て置けば良かったと思っています。

 それにしても、この文章が兼好が本当に見聞き、あるいは大衆に対して言った言葉なのでしょうか。

 そこで、『随筆』とは何かを、得意の辞書で調べて見ました。
 「見聞したことや心に浮かんだことなどを、気ままに自由な形式で書いた文章。また、その作品。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 私の思い込みかも知れませんが、随筆は実際に見聞した事に対して書いてあるものだと思っていました。ですから、フィクションでなければならないと思っていました。

 ただ、歴史を経て、徒然草を三大随筆としたのは、後世の人ですから、兼好法師は、そんな意図もなく、徒然草の冒頭にある、

『つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』

 と「心にうつりゆくよしなし事を」ですから、心に浮かんでくる他愛もない事を、ただ気の赴くままに書き綴ったのだと思います。

 であれば、フィクションと考えるより、脚色もあったと考える方が自然だと思いました。

 時代背景が分かりませんが、法師と言ってもどんな僧侶か想像してしまいます。競馬を見るために、木の上に上るような僧侶がいる事も、疑わしいですが、しかも居眠りをしてしまう事も、信じがたい光景です。

 当時幾ら末法の時代であっても、法師に対して、「危ないですよ!」と、声を掛けるならまだしも、 嘲り笑うなど、本当にあったのでしょうか。

 誰でも解る道理と言った、兼好の言葉にも真実味を感じる事が出来ません。

 普通に考えると、僧侶を嘲笑している大衆に対して、競馬を観戦に来ているあなた達も、木の上の僧侶に負けずとも劣らない人達だと、苦言を呈したと考えます。

 しかも、人の事を言う前に、兼好自身も競馬観戦に来ている一人です。そんな事を言えた立場ではないでしょう。しかも、見えないからと、牛車を降りて観戦しようと埒(柵)の近くまで行っているのです。

 丁度タイミングよく、自分の言った言葉が、大衆の心に響いたような口ぶりです。

 大衆がホントに気付いたのなら、人の事をあざ笑って、はっと気づく事があれば、そんな事を言った兼好に対して、「おまえもな!」と言われてしまいそうな、道理ではないかと、思ってしまいます。

 しかも、席を譲ってくれるのも、理由が分かりません。大衆も兼好も同じ穴のむじなではないでしょうか。

 百歩譲って、良い事を言って気付かせてくれた、と思うとしたら、兼好以上に大衆の方を賢者と思ってしまいます。

 別に兼好法師は、自分の事を賢者と言っている分けではありませんが。

 

『道理』

 私は、競馬観戦の場で、「我等が生死しゃうじの到來、唯今にもやあらむ。」と言う事に対して、「折からの、思ひかけぬ心地して」と思いもしないタイミングと言っているのですが、グッドタイミングとは思えないと、書きました。

 では、どんな時がグッドタイミングと言えるでしょう。

 私は、大切な人が亡くなって、生きる気力を無くしている時、例えば良賢さんの歌のように「散る桜残る桜も散る桜」と、人の世の儚さと、諸行無常である事を歌えたとしたら、まさに心に響くでしょうし、グッドタイミングだと思えます。

 ある程度の知識があれば、良寛さんのこの歌も、知識の中にはあるでしょうし、方丈記の冒頭の言葉「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」程度は知っているでしょう。

 しかし、知識では知っていても、その状況の中で聞く事ができれば、あるいは、思い出す事が出来れば、心に響いて、その歌を読んだ人の心に触れる事ができると思います。

 「道理」とは、そう言うもので、ただ知識として幾ら難しい事を知っていても、役に立たないどころか、 人に煙たがられるのが関の山です。

 私はそんな道理をひけらかして、しかも席を譲ってもらうような、姑息な真似はしたくありません。なにも、兼好が意図して席を譲ってもらうために言ったとは思いませんが、結果的にそうなってしまいました。

 それにしても、木の上の居眠り法師は、どうしたのでしょうね。