文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【68】

 今日の文字は『棄』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十七段』を読んで見て、感じた文字です。

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 二、三日前から、貴乃花親方の問題で、またまたマスコミは大騒ぎ。

 マスコミやコメンテーターの対応は疑問符だらけですが、貴乃花親方自身にも問題があるような気がします。

 自分にとって真実であっても、私が彼の会見を聞いていても、事実とは思えない、自分が考える真実を主張しているように思いました。

 自分が真実で、他の人の言う事は間違いと言う発想では、組織人は務まりません。色々な人と調整をしながら組織は動くものです。

 先日の秋場所(9月場所)も、連日満員御礼の垂れ幕が下がっていました。組織として相撲協会は、立派に役目を果たしていると思いますが、相撲界が衰退しないようにする事が、組織の目的ではないのですか。私はそう思います。

 当然人の集まりですから、気に入らない事の一つや二つ、いやもっとあるのが組織と言うものです。自分の思うようにならないから、改革。と言うのも違うような気がしますが。

 誤解と言う人がいますが、それは大人の対応です。本当は勝手な言い分と言いたいと思います。誤解ならまだしも、ここまでくると、曲解に聞こえます。

 弟子の為と、何度も主張を繰り返していますが、親だと言うのなら、自分の意地とも言える主張をくりかえし、子を他人に任せる事などどうしてできるのでしょう。

 確かな情報か確認していませんが、テレビで相撲協会に詳しい人が言っていた言葉ですが、移籍に対して金銭のやりとりがあるらしいです。もし、これで、弟子を向かい入れいる側から、何らかの金銭を受け取るようなことがあるとしたら、その方が腑に落ちないと思います。そんなやりとりがない事を祈ります。

 野球のような場合は、選手と球団ですから、経済行為と割り切って、トレードがあります。これなら、しぶしぶであっても、双方が納得して行えます。

 ここで、親子関係を持ち出すとなると、出す側が面倒をかける相手側にいくらかのお金を渡すのが一般的な行為でしょう。

 この話は、このテレビの出演者が言った言葉ですから、実際に実行されるかは、不明です。不確かな事を書いて申し訳ありませんが、すこし気になったものですから。

 それでも、相撲界から去る事を、残念がる人がいるのですから、徳のあるひとなのだと思います。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第六十七段 〔原文〕

 賀茂の岩本、橋本は、業平なりひら實方さねかたなり。人の常にいひまがへ侍れば、一年ひととせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼びとゞめて、尋ね侍りしに、「實方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、『橋本や、なほ水の近ければ』と覺えはべる。吉水和尚の、

   月をめで花をながめしいにしえの やさしき人は こゝにあり原

と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、己らよりは、なかなか御存じなどもこそさぶらはめ」と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく覺えしか。

 今出川院近衞いまでがわのいんのこのえとて、しゅうどもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌多し。作文さくもん・詩序などいみじく書く人なり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『 上賀茂神社末社の岩本社、橋本社は、在原業平ありわらのなりひら(平安初期の貴族歌人。伊勢物語の主人公と言われている)と藤原実方ふじわらのさねかた(平安中期の貴族歌人・清少納言と交際があったと言われている)を祀った神社である。

 どちらか、人が常に混同して間違うので、一年前に詣でた時に老宮司を呼び止め、尋ねたところ「実方は御手洗に影が映る所であるが、『橋本の方がなお、水に近い』と世間では言われる。

 吉水和尚(天台座主慈円〔1155~1225〕)の、

   月をめで 花をながめし いにしえの やさしき人は  こゝにあり原
   (ちなみに、原とは、在原業平ありわらのなりひらの事である。

 と、詠まれたのは、岩本社のことだと聞いていますが、私よりもあなた様の方がご存知でしょう」と礼儀正しく答えられたのが大変立派であった。

 今出川院近衞いまでがわのいんのこのえと言う、数多く歌集に和歌が載っている人も、若い頃常に100首の歌を詠んで、この社の前に流れる小川の水で墨を磨って書き、手向けた。
 本当に誉れ高い人で、人の噂になる和歌が多い。漢詩や序文など、素晴らしく書く人なのだ。』

 

 

『誉』

 在原業平ありわらのなりひら藤原実方ふじわらのさねかたも、いずれも歌人で名高い人であり、岩本社には、在原業平ありわらのなりひらが、橋本社には、藤原実方ふじわらのさねかたが祀られています。
 
 と、この段には書いてありますが、現在の岩本社に在原業平ありわらのなりひらが祀られているとの説明は見当たりません。

 また、同様に現在の橋本社にも藤原実方ふじわらのさねかたが祀られている説明はなされていません。

 この吉水和尚(天台座主慈円〔1155~1225〕の和歌が史実であるならば、少なくとも在原業平ありわらのなりひらがこの岩本社に祀られている事になります。

 在原業平ありわらのなりひらが六歌仙・三十六歌仙の一人、藤原実方ふじわらのさねかたが中古三十六歌仙の一人ですから、その人達が神として祀られているのですから、和歌を作る人にとっては、詣でたい神社であってもおかしくはありません。

 しかも、吉永和尚は、前大僧正慈円さきの だいそうじょう じえんと紹介され「小倉百人一首」にもその歌がある人です。

 最後に記載のある、今出川院近衞いまでがわのいんのこのえは、続古今集には、「中宮権大納言」名で、そして、勅撰入集計二十六首。『和漢兼作集』には和歌と漢詩句の掲載など、和歌の評価が後世に伝えられています。

 私が知っている、ご利益があると言われている神社は、智慧の文殊さん(家原寺は、大阪府堺市西区にある高野山真言宗別格本山の寺院。)。

 中学生の時に母とお参りしました。親は何とか智慧の文殊さんにあやかりたかったようですが、ご利益は無かったようです。

 後は、大阪の天神さん(大阪府大阪市北区天神橋の神社)、ここは、大阪では、天満の天神さんで有名ですが、書道の神様としても、学業の神様としても、ご利益を求めて参拝者が多い神社です。もっとも、一番有名なのは、天神祭りですが、これは日本三大祭りに挙げられています。

 天神さんに祀られている、藤原道真は、空海・小野道風と並び書道の三聖と言われる程の達筆で書道界では、古典を学ぶ上では欠かす事のできない人です。この人は学問、和歌、書道に長け、しかも学者であり政治家でもあったのです。

 しかし、人から妬まれ、ついには太宰府に左遷され、その地で亡くなりました。有名な句に、

 東風こち吹かば 匂い起こせよ 梅の花  あるじなしとて 春な忘れそ

 があります。

 この和歌は、大宰府に左遷されるときに歌ったと言われていますが、その意味は、心情が表れていて、私でも知っている和歌です。

 春風が吹けば、梅の花よ、匂い立たせるように咲き誇ってくれ。私がいなくても、春を忘れずにいてくれ。

 と、私は訳しました。

 この藤原道真は特別なのかも知れませんが、歴史上の人物は、和歌や俳句の事は良く分かりませんが、達筆な事に驚きます。

 先日もテレビを観ていて、「甲陽軍鑑」を口述筆記させた高坂弾正によって書かれたのですが、その口述筆記をした、甥の春日惣次郎と、春日家臣、大蔵彦十郎の文字がなんとも素晴らしい、と、思います。人を評価する身分ではありませんが、まるで臨書の手本にしたいような文字と思いました。

 甲陽軍鑑 

江戸初期の軍学書。二〇巻。武田信玄・勝頼二代の事績・軍法・刑法を記したもの。高坂昌信の遺稿に仮託して、小幡景憲が編。
(出典:大辞林第三版 三省堂.)