文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【1】

空手道 書道 百人一首 徒然草 序段を読む
 文武両道と言うと、現在は、勉強も出来て、スポーツも出来る事を言うと思います。

 私は、少し違うニュアンスをもって、『文武両道』を捉えています。

 一つは、勉強は出来なかったから、過去には戻れないし、いまさらテストを受けて結果を得る勉強に興味もありません。

 

 

私は空手道の道を歩んでいます。

『道』ですが、その基礎になるのは、武術であり、武術を昇華したものを武道と思っているからに他なりません。

 ですから、今の競技空手に興味がある分けではありません。しかし、競技空手はあくまでも、スポーツであり、現在の繁栄は喜ばしいと思っています。

 中には、異端児がいても良いと思っています。現在の公益財団法人全日本空手道連盟副会長の栗原茂夫先輩も、昨年あるパーティで一緒になった時、私の事を仙人だと言っていました。良い意味か、悪い意味か、それは、疑問です。

 

 『文武』の『文』を『書道』にと思い、少しだけ『文字』を書くように、生活の中に取り入れました。もちろん『文字』と言っても、毛筆の国字です。

 一日一文字を目標にして、書く事にしました。そこで、今日は『草』を書きました。『徒然草』の『草』です。

 先週、孫が遊びに来て、百人一首のカルタで、坊主めくりをしました。

 

  そこで、百人一首を毛筆で書いてみようと思い、その意味を考えて見ました。

 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山持統天皇

 この歌くらいは、聞いたことがあります。

 この意味は、単に、春が過ぎて、天の香具山に白い衣が干されているのを見て、ああ夏だなあ、と思った歌でしょう。勝手な想像です。

 文学的素養の無い私は、それで!?

 そこで、俳句や和歌などの詩歌を少し勉強してみる事にしました。勉強といっても、テストのための勉強ではなく、理解すると言う意味です。

 

 いきなり、俳句や和歌と言ったものではなく、文章として書かれてある『徒然草』が思いだされました。

 いきなり、と書いたのは、5・7・55・7・5・7・7と言った言葉を集約し多くの文字から選択し、言葉を選んだものは、私には難しいと思ったからです。テレビ番組「プレバト才能ランキング」を見ていると、文字の選び方や一文字の重さを痛感し、難しいと思った影響だと思います。

 『つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』から始まる文章は、良く知られる所です。

 私は、ブログを始めて、今月の18日で満1年になりました。その間、体調を壊して2日間、そして大晦日から正月の6日までの一週間は、投稿を休みましたが、他は休まず毎日のように書き続けています。

 まさに、『つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば』ではないかと思いました。

 『徒然草』は、現在のブログではないかと思い、これは研究してみる価値は十分にあると思った分けです。

 私が何を知りたいか、理解したいかは、ぼんやりしていて、はっきり言って解らないのです。

 そんな漠然とした気持ちで、何かを始める事ってありませんか。

 そこで、『徒然草』を読み解きながら、なぜこれが文学なのか随筆と言われて、歴史を越えて伝えられているのか、その価値を探って見る事にしました。

 しかし、『徒然草』は、243段から構成されていると聞きます。私でも知っている序段を入れると244にもなります。

 とても、すべてを読み解く事はできないと思いますので、抜粋する事にしました。どの部分を抜粋するかも、決めていません。それこそ、つれづれなるままにです。

 日本三大随筆と言われ、吉田兼好が書いたとされますが、確たる証拠もないそうです。

 私は、テストのための勉強には興味がないのか、書籍の題名も、誰が書いたのかも覚える気がしません。ですから、この吉田兼好にしても、このブログを書くために調べたものです。

 今回、私の書籍の読み方に、間違いがあるのだろうと、推測しています。ですから、文学も理解できないし、芸術にも造詣が深くないと思い始めています。

 

【読み解き】

 と、言う事で、『徒然草』序段を読み解く事にします。

 原文は、

『つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』
 

 誰もが知っている部分です。

 この題名にもなっている、『つれづれ』と言うのは、辞書にありますが、要するに「暇をもてあそんでいる」事を表現しているのでしょう。

 まあ、一見、現在の私のようなものです。一日中忙しくしていますが、勝手に忙しくしています。

 なぜ、忙しくしているかと言うと、少なくとも生きている間は、イキイキと終活する方が楽しいと思うからです。

 ですから、暇を弄んでいるのではないのです。暇だから出来る事をやろうとしています。ですから、吉田兼好はどのように思って『徒然草』を書き始めたのでしょう。

 この「あやしうこそものぐるほしけれ。」が問題ですが、色々な解釈を見ることができますが、私は、 ランニングハイ ではないかと思っています。

 では、私の読み解き文を書いて見ましょう。

 『暇を弄んでいるのもつまらないので、色々つまらない事が頭に浮かぶことを、そのまま文字にして見ようと書いていると、結構気持ちが乗って来て、面白くなってきた。』

 どうですか、私ならこう訳します。