文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【2】

原文 現代文 私見 自分の顔 品格

 今日の一文字は『分』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第一段』を読んで見て、感じた文字です。

 相変わらず、猛暑が続いています。今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第一段 〔原文〕
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かンめれ。

 御門みかどの御位は、いともかしこし。竹の園生そのふの、末葉すゑばまで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。いちの人の御有様はさらなり、たゞびとも、舎人とねりなど給はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・むまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それよりしもつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木のはじのやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀ぞうがひじりの言ひけんやうに、名聞みやうもんぐるしく、仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬あいぎやうありて、言葉多からぬこそ、かず向はまほしけれ。

 めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性ほんしやう見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、ざえなく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意ほいなきわざなれ。

 ありたき事は、まことしきふみの道、作文さくもん・和歌・管絃くわんげんの道。また、有職いうそく公事くじの方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子ひやうしとり、いたましうするものから、下戸げこならぬこそ、男はよけれ。

 

現代文

 『人は生きていると、願い事が多いようだ。

 生まれながらに、高貴な人は立派に見える。たとえ落ちぶれても気高さがあるものである。しかし、たまたま時流に乗って出世した者は、本人は立派になったと思っているようだが、人から見ると実に期待外れの趣がある

 「人に木の葉の思われる」と清少納言が言っているように、法師を羨ましくは思わない。大声をあげて騒いでいる姿をみても望ましい事ではない。増賀聖人が言ったかのように、名声や名誉を求める事も、仏の教えとは思えない。ただ、増賀聖人のようにひたすら世捨て人のようになってほしいものである。

 人は、立ち居振る舞いが優れる事が、理想である。物を言うにも、聞きにくいわけではなく、愛嬌があり、言葉も多くはない人は、飽きずに付き合える。
 良い人と思っても、本性が見えて劣る所があれば残念である。品性や見た目は生まれつきだが、心は、賢くなっても良くならないのだろう。品性や性格が良い人であっても、身に付けた教養を磨かなくなると、品性も顔かたちまでも品格の無い人にまじってしまう。不本意な事である。

 望ましい事は、正式の文の道、作文(さくもん)・和歌・管絃の道、あるいは、礼儀作法に通じ、人の範となることこそ、意味のある事である。
 文字を書けばさらさらと書き、歌を歌えば上手く歌い、楽器の一つも扱い、酒は勧められれば、控えめに嗜み下戸ではないのが男というものである。』

 

私見

 
 日記と言うより、初めに『願い事が多いようだ。』と書いているのは、自分自身が、人に対して望む事のように思えます。もちろん、自省を込めての意味も含まれるのかも知れません。

 私が、『分』と書いた理由は、『分を知る』と、このブログでも書いていますが、世の中には、吉田兼好が書いているように、生まれながらに高貴な家に生まれ、品格の備わった人もいるし、財力があっても品格の備わらない人もいる事は、この現在のような平等の世の中にあっても、事実であると思います。

 しかし、身分制度がない現在でも、今の自分の居場所を定めると、生きやすくなります。背伸びしても、兼好の言う通り、『人から見ると実に期待外れの趣がある。』、見るからにみっともない。
 
 この事に気が付かないから、人から認めてもらえないから、愚痴が多くなって人生を不快に過ごす事になるのです。

 

 第16代アメリカ大統領リンカーンの言葉だと思いますが「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と聞いたことがあります。

 吉田兼好も容姿について書いていますが、私はあえて客観的な見た目、美醜とは捉えませんでした。まさに、『自分の顔に責任を持て』の顔と捉えています。

 美醜は、変える事ができませんが、見た目、男前の人や美人と言われる女性も、年月を経ると返って、魅力を感じません。やはり、人は中身で勝負。日ごろの研鑽が、人の魅力を醸し出すのかも知れません。

 

品格

  美智子妃殿下の事をこのブログで取り上げさせてもらった事がありました。まさに、品格の備わったと人に相応しい方だと思いました。

 それにしても、吉田兼好は、兼好法師と呼ばれていると聞きます。清少納言の言葉を借りて、法師をこけ下ろしています。

 全くの想像に過ぎませんが、名声の高い世の中で有名な、法師と同じように思わないでくれ。と言うことなのでしょうか。