明けましておめでとうございます。

  今年もよろしくお願いします。  

 月曜日が成人の日ですから、来週火曜日から仕事初めの人が多いと思います。すでに、仕事を始めている人もいるかもしれません。
 私が会社にいる頃は、お正月は元旦から出社していました。
 休んでいる間に、やる気を失ってしまう場合もありますから、ちょっと、気合を入れ直さないと、エンジンがかからないですね。

 昨日の朝、テレビを見ていて、来週から始まるドラマの宣伝番組で、なるほどと思った事を書いてみます。

 『FINAL CUT』という題名だったと思います。その中で、「テレビが作りだした真実」と言う言葉に頷いてしまいました。

 私達は、テレビで放送されているもの、書物を、何の疑いもなしに、鵜呑みにしてしまう事もあります。自分が知っている事には、極端に反応しがちですが、知らない事に対しては、「そんな、アホな!」と耳に入れないか、「なるほど!」と共感してしまうか。なんの検証もせずに、次から次から新しい情報に翻弄されて一日を過ごします。

  前にも書きましたが、私達は、「断片化された知識量で人を試す戦後教育の犠牲者なのかも知れません。」【(光延 昴毅)氏(国際開発コンサルタント)】と言われているとおり、どんなに知識人であっても、有識者と呼ばれようと、世の中の出来事からすれば、本当に僅かな知識しか持ち合わせる事ができません。

 で、テレビの話に戻りますが、そんな僅かな知識しかもっていないであろうと、思える知識人?がコメンテーターとして、あるいはMCとして、さも事実であるかのような情報を垂れ流しています。
 なにも、出演者を馬鹿にしている分けではありません。その番組に出るための情報を本当に納得できるまで、勉強しているのか疑問だと思う発言があるからです。
 テレビを作る人たちも、出演している人達も、単なるバラエティとして考えてるのかも知れませんが、そんな情報が一般の人たちの、常識になっている事に、責任を感じてもらいたいと思っています。
 そして、必ずテレビを作る側の言い訳として、「バラエティ」だからと言いそうです。
 私が、責任を感じてもらいたい理由は、そんな番組を見た人たちにインタビュー、あるいは、アンケートを取って、世論としたり社会情勢としたりして、政治の判断にまでなってしまう事に気付いているのでしょうか。
 確かに、統計的社会調査の段階では、世論は事実に近いのだと思います。しかし、その世論はマスメディアに翻弄、もしくは誘導された結果である事に責任を感じてほしいのです。
 自分たちが蒔いた種を刈り取って、世論の大半はこのように思っていますと言います。何だか腑に落ちません。

 先日、宮崎県の知事までした人が、バラエティで発言していました。これは、さすがだと溜飲が下がる思いでした。前の相撲協会の危機管理委員長だった発言は、何度か聞きましたが、どうも要領を得ません。その発言に対して、突っ込みを入れたのです。前危機管理委員長は、何か意図があって、もしくは、現在の危機管理委員長を愚弄する目的を持っていたのでしょうか、墓穴を掘ったように思いました。「してやったり」です。

 この前危機管理委員長は、弁護士で、日本の検察官、内閣官房参与。名古屋高等検察庁検事長、高松高等検察庁検事長を歴任された、いわゆる知識人の中の知識人と肩書は物語っています。この人には、特別に情報が入っているのでしょうか、それにしても、奥歯に物が挟まったような物言いに、反って反感を買う発言に聞こえました。人や団体を批判するのは結構です。しかし、その場合は、誰もが納得できる事実を吐露して批判するべきではないでしょうか。何も情報を見せる事もしないで、他を批判する事は、知識人として悖る言動と受け取らざるを得ません。

 私は、この相撲協会の事件では、視聴者はメディアに翻弄されていると思っています。この暴行事件における相撲協会と被害者の親方の関係では、情報が定かではありませんし、たとえ双方にわだかまりがあったり、確執があったとしても、この問題に持ち込むのはお門違いと思います。
 事実は、この暴行事件が起こった時に、被害者の親方は巡業部長として、相撲協会の代表として力士を預かっていたのではないのでしょうか。一番責任を感じるべき人がたとえ被害者の親方であったとしても、自分の職務を果たさなければ、組織人として失格だと言われても仕方ありません。他に、メディアが伝えていない、事実があるのかも知れませんが、私は、公正公平であるべき、メディアの姿勢に違和感を感じずにはいられません。もちろん、メディアは公正公平ではないと言われると、一言もありませんが。

 私は、暴力で何事も解決するものではないと思っています。しかし、幼少の頃から先生には殴られて育ってきました。空手の世界では先輩に、それこそいわれのない暴力を受けました。もちろん、殴る相手にはそれぞれ思いがあったのかも知れません。いわれのないと思う事自体が間違っているのかも知れませんが、その当時は理解できませんでした。それでも、私の個人的な気持ちですが、言葉の暴力の方が後を引き、好き嫌いで言えば嫌いです。暴力を否定するばかりに、言葉の暴力がまかり通っている事を、マスメディアは心すべきではないでしょうか。
 よく、激論と言う言葉を聞きますが、言葉は紳士的な言葉を使うようにしましょう。会議の場では、相手を睨みつけるような行為は慎みましょう。少なくとも武道を志す者として、「礼節」は必要なものなのです。

 お正月早々、もう少し明るい話題にするべきだと思っていますが、歳のせいでしょうか。日本の将来を憂いてしまいます。なんて、格好良すぎですか。

 武道をしている人は、礼儀が正しいと、考えるのが一般的だと思います。しかし、それは単なる先入観だと思っています。

 日本空手道髓心会のホームページに、 『礼と節』について、載せていますが、あくまでも、会員のために書いたものです。

 明日から、もう少し広範囲に目線を移しながら、『礼と節』について考えていきたいと思います。