論語を読んで見よう
【プロローグ】

 論語と言うと、孔子。論語と言うと、論語読みの論語知らず。論語と言うと、温故知新。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」程度しか知りません。

 なぜ、「論語を読んで見よう」などと無謀な事を考えたかと言いますと、私は、これまで本当に本を読んできませんでした。にもかかわらず、このブログを初めて、これまでに、「不動智神妙録」に始まり「五輪書」「独行道」と曲がりなりにも、読む終わる事が出来ました。これらの本は、前にも一応目を通した事はありましたが、ここまで詳しく読み終えたのは初めてでした。

 『武道』と『礼と節』の関係を知るため、聖徳太子の十七条憲法や小笠原流に伝わる礼法を知るため、小笠原敬承斎著の「美しい振る舞い」など色々な文献を読むことになり、もしかしたら、『論語』も読むことが出来るかも知れないと思い、本日からしばらくの間、『論語』に接して見たいと思っています。

 まず、論語と言えば、孔子。孔子と言う名前は知っているのですが、少し孔子について辞書で知識を得ておきましょう。
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 (前551~前479頃) 〔呉音で「くじ」とも〕 中国、春秋時代の魯ろの思想家。儒教の祖。名は丘、字あざなは仲尼ちゆうじ、諡おくりなは文宣王。昌平郷陬邑すうゆう(山東省曲阜きよくふ県)の生まれ。魯に仕えたがいれられず、諸国を遊説したのち、門人の教育に専念。周公旦しゆうこうたんの政治と事績を理想とし、仁と礼とを倫理的行為の根本におき、徳治政治を達成せんとした。その思想は、言行を記録した「論語」にみられる。また、「書経」「詩経」「春秋」などを整理・編纂したといわれる。(出典:大辞林 第三版 三省堂.)
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 ただ情報によると500以上の短文で出来ているとの事、文章を読みなれていない私が、全てを読もうとするには、無謀すぎると思っていたところ、なんと、論語を抜粋した本が本棚に並べてありました。好都合です。これもブログの引き合わせ?これを読んで見る事にしました。

 なぜ、この『現代人の論語』呉智英著の本があるのかも失念しています。多分読もうと思ったのでしょう。購入した時期は、14年も前です。

 この本は、論語を呉智英氏(以後原則として著者と書きます)が抜粋して載せてありますので、全てではありません。それでも、50章にも及ぶと記載されています。
 この本を元にして、色々考えながら読んで見たいと思います。

 1ページ目を開けると、¦¦¦  はじめに と書いてあり、続いて、読まれざる古典、論語 とあります。
 すでにここで、「ん!?」です。論語って昔から日本では随分読まれてきたように聞いていますが、どういうこと? から始まりました。

 著者の思うつぼにハマったのです。「そんなはずはないと、それこそ誰もが思うだろう」と書かれています。

 そこには、著者が初めに断っておきたいことが書かれてあります。巷では「論語読みの論語知らず」と言う言葉はあるものの、間違った解釈やうる覚えの知識で、論語を語ったり、その言葉を使ったりする人が余りにも多く、まして書物にしてある物の中にも間違いがあり、再刊されても全く訂正する気配さえない事を嘆いています。

 また、私のように積読系の如何に多い事も指摘され、「論語」は実際は興味深い書物であるので、これを現代人に面白さを優先して500章の内興味深い50章を取り上げ、読みやすいように書いたと述べられています。

 私は諺などから、話す時に引用したり、またこのブログでも時々使う言葉が、知らない内に「論語」の一文を使っていたり、例えば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言う言葉など、何度も使っていますが、意味を間違って使っている事はありませんが、本家本元が孔子であり「論語」である事も知りませんでした。大変失礼な事をしていたと思っています。

 私が個人的に、孔子や「論語」に抱くイメージは、古臭い、倫理、道徳的、堅苦しいなどがありますが、内容を知りもしない人間が、勝手な想像で毛嫌いするのもどうかと思います。
 空手も私が始めた頃は、映画などでも悪役のイメージが強く、空手をやっていると言うのも憚られるぐらいでした。今でもなるべくなら人には言おうとしません。あくまでも暴力としてしか印象が無いように思います。
 前に『知らない事は罪である』と友達が言ったと書きました。何でも知ってみると初めに抱いた感じとは変わるものです。
 
 この『論語』にしても、読み終わったころには、随分印象が変わっているのかも知れません。
 期待しながら、一文づつ丁寧に読み、私がよく使う言葉「理解して咀嚼」までは、たどり着きたいと思います。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.