文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【169】

 今日の文字は『謙譲けんじょう』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百六十八段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 謙譲

 

☆自家製担々麺のレシピ公開
 
 用意する物(一人分)

  1. 生麺一束・チンゲン菜2葉程度
  2. スープ
    1)水 (ラーメン碗8分目)
    2)牛乳 10cc
    3)創味シャンタン 小さじ1杯
    4)ガラスープ   大さじ1杯(後で味見をして足しても良い)
    5)味噌      大さじ1杯
    6)すりごま    大さじ1杯
    7)ゴマダレ    大さじ1杯(後で味見をして足しても良い)
    ☆ゴマダレはしゃぶしゃぶ用のミツカンのごましゃぶを使用しています。
  3. 肉みそ
    1)豚肉のみじん切りしたもの(ひき肉でも良い)・・・好きなだけ
    2)搾菜(瓶入りで良い)・・みじん切りにしておく・・好きなだけ
    3)ネギ、みじん切り   ・・適当
    4)ごま油      大さじ1杯
    5)豆板醤・・・・・・・   適当
    6)甜麺醤・・・・・・・   適当
    7)ラー油・・・・・・・   適当
    7)ニンニク・・・・・・   適当
    8)2.のスープ     大さじ1杯
  4. 作り方(肉みそ)
    1)フライパンにネギを入れとろ火でよく炒めてから、豚肉を入れる、火が通ってから搾菜を入れて炒める 。
    2)次にスープを大さじ1杯を入れて、豆板醤・甜麺醤をチューブから2cm程度入れ、ラー油を適量入れて炒める 
  • 麺は別に茹で水を切って器にもりスープを掛ける
  • チンゲン菜、肉みそを盛る

 結構いけますよ。試して見てください。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百六十八段 〔原文〕

 年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には、誰にか問はん」などいはるゝは、老の方人かたうどにて、生けるもいたづらならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、「一生この事にて暮れにけり」と、拙く見ゆ。「今はわすれにけり」といひてありなん。大方は知りたりとも、すゞろにいひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほまことに、道の主とも覺えぬべし。まして、知らぬこと、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人のいひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。

 

 

『現代文』

『年老いた人が、一つ優れた才能があり、「この人が亡くなったら、誰に聞こう」などと言われるのは、老いる事への味方で、生きているのも無駄ではない。そうは言っても、すたれる所が無いのも「一生この事だけに費やしただけ」と運が悪いと見える。「もう忘れた」と言っておくのがよい。大体は知っていても、やたらと言いふらすのは、それほどの才能ではないと思われ、墓穴を掘る事にもなる。「定かには弁えていない」と言う方が、権威者とも思われる。まして、知らない事を、知っているかのように、年配の人だから非難もできず、言い聞かせているのを「そうではない」と思いながら聞いているのは、とてもやりきれない。』

 

 

『謙譲』

 ここでは、年老いてからの立ち振る舞いについて書かれていると思われます。

 なぜ、年老いてから言動に注意しなければならないかと言うと、若い人が反論できないからと言っています。

 ですから、いくら知っていても言わない方が、逆に賢く見える。べらべらと喋ると墓穴を掘る事になると、戒めているのでしょう。

 少し前までは、「亀の甲より年の劫」、あるいは「亀の甲より年の巧」と諺にありますが、インターネットが発達した現在、知っている事は何の自慢にもなりません。

 特に時代の流れが速く、現在では年寄りの経験も役に立たなくなったようです。

 それでも、一部ではまだ熟練の技が活かされる場所もあるようです。

 『「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほまことに、道の主とも覺えぬべし。』と、その道の権威者と思われたいのでしょうか。

 私はその道の権威者と言われる人に、それほどの賢者がいるとは思っていません。賢い人ほど『能ある鷹は爪を隠す』の譬え通り、表には出ないものです。隠れた所に、凄い人がいると思っています。

 ここで言われているように、確かに聞いていても恥ずかしくなるような事を、得意げに話す人もいますが、その中にも光るものがあるかも知れません。決して侮ってはいけないと思います。

 『「さもあらず」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。』などと、馬鹿にしないで、素直に耳を傾けると、いい話が聞けるかも知れません。

 最近、その歳になってみないと解らない事がある事を実感しています。私はまだ70代の初めですが、70代半ば、あるいは80代になって気付く事はあると思っています。いや、その歳にならないと実感しない事が、山ほどあるような気がします。

 死ぬその日まで、新たな発見があると、面白じゃないですか。