文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【167】

 今日の文字は『融雪ゆうせつ』です。ここでは、雪が融けると言う意味で書きました。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百六十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 融雪

 

☆韓国は何を主張したいのか? 
 
 昨日テレビを見ていて、まだ韓国のレーダー照射のニュースが尾を引いているのに驚きました。

 日本から見ると、余りにも幼稚で詭弁を弄していると思われるのですが、ニュースは、人により取り方が180度違う事もあります。

 6か国語で自分の国が正しいと世界に発信すると、韓国の言い分が正しいと思う国も出てくるでしょう。慰安婦像のように。

 正しい事、事実を歪曲しても、通る世界だと思います。ならばと、日本も同じ事をすると、相手の思うつぼになってしまいます。

 国益と言ってしまえば聞こえは良いのですが、話しのすり替えは、事の本質を変えてしまいます。

 韓国は、国益と言うよりも、政権を維持するために、常に日本をターゲットにします。日本は結局何もしない国だと思われています。

 同じ敗戦国であってもドイツなどのように、毅然と対処する方法を取る必要があるようです。いつまでも「都合の良い国」である必要はないようです。

 何もことを荒立てて、諍いを起こし、戦争の火種を造ろうとは言いません。しかし、相手は、そうしない国だと思っているのですから、これは『いじめ』に相当します。

 政治家の奮起を願う所です。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百六十六段 〔原文〕

 人間の營みあへる業を見るに、春の日に雪佛ゆきぼとけを造りて、その爲に金銀珠玉の飾りを營み、堂塔を建てむとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見る程も、下より消ゆる事、雪の如くなるうちに、いとなみ待つこと甚だ多し。

 

 

『現代文』

『人間の競い合って営む様子を見ると、春の日に雪の仏を造り、そのために、金銀・珠玉の飾を付け、堂塔を建てようとしているのに似ている。完成を待ち、うまく安置できるのか。人の命、まだあると思って見るも、下より消えていくのは、雪のようであるのに、立てられると思って、準備して待っている事がとても多い。』

 

 

『融雪』

 これも、人を小馬鹿にした、吉田兼好一流の言い方に見えます。

 誰も、雪に飾りを付けて、堂塔を立てようとしません。『人間の營みあへる業』は、「人間の競い合って営む様子」と現代文にしました。

 要するに生きるための仕事の事です。ただ、資本主義である事とは関係なく、人は何かをすると、もう少し良くしようと思うものです。そして、競争相手がいれば、勝とうとします。勝とうとしないまでも、負けないよう努力するのが、人間の性です。

 そして、第三者から見れば、「なんで?」と思う事でも必死でやろうとします。確かに、融ける事が分かっているようなものでも、形にしようとするかも知れません。それが、人間だと思います。いや、人間の良い所かも知れません。

 自分の身になって見ないと本当に気付かないのが人間だと思います。客観的に見れないから人間なのです。ですから、客観的に見る努力をすると思います。

 兼好法師のように、人の生活を別の立場から俯瞰していると、滑稽に見えるかも知れません。しかし、これが人間の営みだと思うのです。

 部外者にとやかく言われる必要もありません。しかし、部外者の言葉に耳を貸す事ができるのも、人間の智慧です。

 兼好法師が専門の和歌にしても、解らない人から見れば、「なんで?」と思うものです。何も生計を立てる事だけが、人間の営みではありません。和歌も営みの一つです。であれば、和歌を作る事も、『營みあへる業』なのではないでしょうか。

 これでは、現在の、何でも反対する野党や、世間に対して毒を吐いてご満悦の評論家となんら変わる所はありません。

 確かに、この随筆、良い部分も多分にありますが、良い部分だけでやめておいた方が良かったと思います。なんだか、兼好法師が墓穴を掘って、自らを貶めているような気がしています。それとも、兼好法師流の文章の書き方なのでしょうか。

 どんな人だったのでしょう。

 この随筆を少し擁護するとすれば、『營みあへる業』を行き過ぎてしまうのも、人間の悪い所です。ですから、いつも言うように、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、「足るを知る」事に気を付ければ、競い合う事も人間の発展にとっては大切な要素だと思います。

 やはり、 「いい加減」が一番だと思います。