論語を読んで見よう
【雍也篇6-4】
[第三十四講 伊達男の公西華・清貧の原憲]

 この講でも、孔子は弟子の行いを遺憾に思っている文章があります。孔子の弟子は、総勢3000人とも言われています。その数字から言うと、『論語』に出てくる人物は僅かですが、ここでも登場する冉子ぜんしは、前回登場の「求」であり、姓がぜん、名が求、字が子有、時に冉有ぜんゆうと呼ばれています。

 彼に対する孔子の感情は複雑で、どうにもその対処方法に困っていたようです。色々な人がいますから、仕方がない事かも知れませんが、それが弟子の場合は、心を痛めます。

 孔子のもどかしい気持ちは、私にも経験があります。教育によって少しは変える手助けをする事もできるのかも知れませんが、性格や考え方の基礎になる部分は、長い年月かけて培ったものです。そう簡単には覆せるものではありません。法に触れる事のない、善悪も世の中には存在します。その狭間を行き来するのが人間だと思います。ですから、悪いと断言できない辛さがあります。
【今回も、環境依存の漢字があります。下記に示します。】

 そんな中で、孔子は冉子ぜんしに何を見たのでしょう。『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『子華使於斉 冉子為其母請粟 子曰 与之釜 請益 曰与之〔倉〕 冉子与之粟五秉 子曰 赤之適斉也 乗肥馬 衣軽裘 吾聞之也 君子周急不継富』。
●読み下し文
子華しかせい使つかいす。冉子ぜんしの母ははの為にぞくを請う。子のたまわく、之にを与えよ。さんことを請う。のたまわく、これに〔倉〕を与えよ。冉子これに粟五へいを与う。子曰く、せきの斉に行くや、肥馬に乗り、軽きゅうたり。吾これを聞く、君子は急をすくうて富めるに継がずと』。【雍也篇6-4】
 
 この文章もこのままでも、意味が分かるようですが、一応現代文にしてみましょう。『子華しかが、使者としてせいに行くことになります。そこで、冉子ぜんし子華しかの母親を思って、穀物を支給してほしいと孔子に頼みます。孔子は、を与えよと言いました。もう少し多くしてください、と冉子ぜんしが更にお願いしました。では、〔倉〕を与えよ。孔子が言ったのですが、冉子ぜんしが実際に支給したのは、粟五へいを与えてしまいました。孔子は、それを知って、子華しかせいに行く時は、太った馬に乗り、皮衣を羽織っていた。君子は必要な者にはその不足を補ってやるが、富める者に施しをする必要はない』。

 〔倉〕へいについては、量の事です。『現代人の論語』によりますと、は7升、〔倉〕は2斗、へいは10石(100斗)とありますが、これは切り上げた数字だと思われます。
 子華しかと言う人物は、姓が公西、名は赤、字は子華と言います。『現代人の論語』では、「おそらく富裕な名家の出身だったと思われる。」との記述があります。

 冉子ぜんしがなぜ、このような裕福な家庭の人に対して、経済的な支援を孔子に願い出たのか、その意味が分かりません。家庭内の事情も分からないで、もし願い出たとしたら、余りにも軽薄な行為だと思います。逆に子華しかと言う人に対して非礼な事だと思います。余計なお世話をなぜしたのか、『論語』のこの文章以外に背景があったのかも知れません。
 しかし、子華しかが斉に行く時の様子を、孔子が語っています。立派な馬に乗って、軽い毛皮を羽織っていたと。要するに、お金に困っているとは思えないと、言いたかったのだと思います。

 支給した穀物の量に関しても、疑問が残ります。いくらなんでも、ざっと一人で食べるとしたら、6年間分になります。理屈っぽい私が、計算してみましょう。
 日本の戦国時代では一人扶持いちにんぶちとして一日五合を与えたそうですから、5×365=1825合=182.5升=18.25斗=1.825石です、とすれば1.825×6=10.95石になりますから、やはり6年分に少し欠ける位ですね。年老いた母ですから、もしかしたら、7年分か8年分になるかも知れません。私など一日に1合もあれば十分なので、米だけ食べたとしても2合も食べられないと思います。だとすれば、私の場合に限って言いますと、なんと15年分にもなります。いくら、情に厚いと言っても、自分の物でも無い穀物をこんなにも、人に支給するでしょうか。疑問が残ります。また、穀物と言えども6年も保存しておけるのでしょうか。

 重箱の隅をつつくような事に、気持ちが行ってしまいました。
 ここで言いたかったことは、必要な人への施しはあっても良いが、必要でない人に施しをする必要がない事を、嗜めているのだと思います。下世話な言い方になりますが、「盗人に追い銭」みたいなものです。

 であれば、孔子も人が悪いと思います。冉子ぜんしが初めに言ってきたときに、なぜ、彼の家は裕福だから、必要ないと言わなかったのでしょうか。冉子ぜんしが更に増やしてほしいと言った時にでも、なぜ必要ないと言わなかったのでしょうか。これでは、冉子ぜんしが罠にはまったのと同じです。仮に冉子ぜんしが事情を知らないとしたら、教えてやるのが人の道ではないのかと、思ってしまいます。やってから、非難するのは、教える方法としては、納得する事ができません。言い過ぎかも知れませんが、卑怯な方法だと思います。事実関係が分かりません。なにせ2500年も前の事ですから。勝手な想像をしてしまいました。

 もし、これが単純にその家庭の事情も調べないで、可哀そうだと思って、勝手にした行動だったとしたら、冉子ぜんしと言う人は、状況の把握も出来ない、アホとしか、考えられません。

 確かに現在でも、考えられないような事をする社員はいます。特に今は社会人になるまでに教えられた事が、年代により様々に変化している時代ですから、上司が常識と思う事でも、部下にとっては非常識に映るのかも知れません。

 それでも、今も昔も、仕事ができるか、出来ないかを見る尺度は同じだと思います。
 良い結果がでなければ、良い仕事と評価されません。良い結果を出すためには、良い経過が無ければなりません。何よりも計画に落ち度があったり、抜けている部分があれば、良い結果が出る分けもありません。
 そういう観点から見ても、限られた資源を有効に使えない人は、仕事の出来ない人との烙印を押されても仕方がありません。

 こんな人の事を、冉子ぜんしのことですが、【雍也篇6-8】では、政治に向いていると、孔子は季康子きこうしに推挙しているのですから、余計に意味が分かりません。しかも、【先進篇11-17】では、冉子ぜんしをこけ下ろしています。これでは、孔子の人を見る目を疑ってしまいます。

 ちなみに、『論語』に登場する人物の名前が複雑で、あっているか分かりませんが、李氏きしは、季康子きこうしと同じ人だと解釈できます。春秋時代の魯の大夫で、季孫氏の七代目が季康子きこうしとなっていますので、同じ時代ですから、同じ人だと解釈しておくことにします。

 だとすれば、季康子きこうしに聞かれて、政治に向いていると推薦し、季康子きこうしの下で働いて、季康子きこうしの意に沿うような仕事をして、こんなにもけなされる、冉子ぜんしが、哀れでなりません。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.