論語を読んで見よう
【陽貨篇17-13】
[第十六講 俗物への憎悪]

 名士と言う言葉は、今でも使われるのでしょうか。昔は町の名士とか、村の名士は必ずいました。

 映画なんかでは、悪役に多いですね。権力を傘に着る人をモデルにして、悪行の限りを尽くす。そんな筋書きがあって、それに我慢しきれなくなったヒーローがこれをやっつける。そんな映画を一杯観て育ちました。

 私の父も町では、保護司、民生委員、町会長と兼任していましたので、一応名士だったのだと思います。亡くなってから15年経った今でも、お父さんには、お世話になりました、と言われたと妻が言っていました。父は兵隊やくざの勝新太郎を彷彿させる人でしたが、悪役では無かったようです。

 今回はその名士に対しての考えです。さて『論語』を読んで見ましょう。
●白文

『子曰、郷原徳之賊』。
●読み下し文
『子曰く、郷原(きょうげん)は徳の賊なり
』。【陽貨篇17-13】

 短いですね。まず、郷原とは何でしょう。『現代人の論語』には、『村や町で立派な人物だと常識的に思われている人』の事を指していると書いてあります。
「道徳家を装って、郷里の評判を得ようとする俗物。」(出典:デジタル大辞泉 小学館.)と言う意味もあるそうです。
 賊というのは、いわゆる盗賊のような悪者の事ですね。

 この言葉だけでは、理解しきれないので、『現代人の論語』と『グラフィック版論語』から背景を考えて見る事にします。

 私が読んだ第一印象は、孔子は郷原と言う、人なのか、行いかは分かりませんが、存在に対して、良い感情をもっていないのかな、と思ったのです。勝手な思い込みですが、孔子は聖人、ですから人格の備わった人、であれば喜怒哀楽をコントロールする事が出来る人。と勝手な推測をしています。

 陽貨篇17-24を見ると、『子貢問曰、君子亦有悪乎、子曰、有悪、悪称人之悪者、悪居下流而山*(*〔言山で一つの文字)上者、悪勇而無礼者、悪果敢而窒者、曰、賜也亦有悪乎、悪徼以為知者、悪不孫以為勇者、悪訐以為直者』と言う言葉がありました。

 内容を要約しますと、子貢が孔子に『君子でも憎む事はありますか?』と尋ねたところ、孔子は『君子にも憎悪の感情はあります。ただし、他人の悪い事をあげつらう人や部下が上司を非難したり、勇気はあっても礼儀をわきまえない人、あるいは自分だけが正しいと思っている人を憎みます』。ところで、『貴方には憎悪の感情がありますか?』。と聞くと、子貢は『人の意見を自分が考えたように言い、知識があるようにふるまう人を憎みます。傲慢と勇気を勘違いしていたり、暴露して正直者と思っている人を憎みます』。このような孔子と高弟である子貢の会話の内容が書かれてありました。

 孔子にも憎悪の感情がある事が分かります。ただし、一言で言うと人間として悖(もと)る人、人間としてあるまじき行為を平気でする人に対しては、愚かと思うだけではなく、怒りと同時に悪い感情を持つという事でしょう。

 孔子は『葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子証之、孔子曰、吾党之直者異於是、父為子隠、子為父隠、直在其中矣』(子路13-18)に人間として悪い事に対する線引きもしています。

 内容は、親が犯罪を犯した事の証人になった子について、正直者と評価する君主に対して、孔子は、これを正直者とは言わない、人間として親の罪を隠すのが正直で、子の罪を隠すのが親である。と忠孝の間にこそ正直さがあると言っています。
 
 今の世の中は、何でも法律に照らして、善悪を決定していますが、この孔子の言った事は、私も同感です。こんな事を言うと、反論の的になるかも知れませんが、内部告発が法律で正義として守られていますが、昔から直訴と言う事があったと思います。これには相当の覚悟が必要でした。

 この告発が日常茶飯事になれば、組織崩壊を待つだけです。憲法も法律もルールも、歴史の一時代に適応させる為に、人間が作ったものです。絶対視するには危険がつきものと思っています。

 ただし、法律を無視すれば良いとは思いません。身内をかばうのにはそれなりの覚悟が必要です。隠す事も今は罪ですから、罪を甘んじて受ける覚悟が必要であるという事です。

 孔子の言う、人間として悖る言動に対しての怒りであり、感情として持つ事は悪い事ではないと、私も思っています。
 もちろん、その感情をどう表現するかも、人間として正しい顕し方があるとは、思います。でなければ、それこそ人間として、あるまじき行為になってしまいます。

 話を戻しましょう。孔子はここで言いたいことは、「君子でもない人が、えせ聖人ずらして、人気取りをしている人は信用できない」。この言葉、ちょっと、私も言い過ぎかも知れませんが、孔子の気持ちを代弁してみました。

  衛霊公篇15-28にある『子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す、と、人の評判に安易に従う事に釘を刺しています。孔子は、多くの人が悪いと思っても、必ず自分の目で確かめ、多くの人に人気があっても必ず自分で確かめる必要性を説いています。

 また、その評価の仕方については、子路篇13-24に『子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆悪之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者悪之也』とあり、善人から好かれ、悪人から嫌われる人が人物として高く評価できると答えています。なるほどと思える言葉です。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.