『礼と節』を表現してみよう。 Part-9 3. 持ち物・身に付ける物で『礼節』に適う物

 普通、『礼節』と、身に付ける物との関係なんて、考えませんよね。

 しかし、逆説的に考えて見て、『礼と節』を弁えている人は、その人に相応しい、持ち物や身に付けているものがあるような気がします。

 上品な人は、上品な人の持ち物があり、着るものがあり、そして、その様子に合う物を身に付けています。

 金額の高い物という意味ではありません。かえって、成金と言われる人ほど、金額のはる物を着、そして身に付けていると思います。その理由は、馬鹿にされたくないからだと思っています。

 現に、私が不動産業の社長をしている時は、靴、ワイシャツ、ネクタイ、背広、ハンカチ、カバン、財布、名刺入れ、どれもこれもブランド品を買っていました。
 成金にも成れなかったのですが、会う人が、大手企業の役員であったり、部長クラスの人、あるいは、中小企業の社長、銀行の支店長など、毎日のように会い、商談に結びつけようと話す機会を持ちました。私に経営能力や商才がなかったせいで、会社は潰す羽目になりました。

 私の場合は、特に馬鹿にされたくないためではなく、相手に合わせるのが『礼儀』なので、それなりの服装、持ち物を購入した訳です。本当の事を言うと、少しは、相手に見くびられないためもあった事は事実です。割合で言うと、七割は相手に合わせるため、後の三割が虚勢だったと思います。

 なぜ、七割かと言いますと、高校時代に友達と服装の話をしていて、きっちりしないと、なぜいけないのかと言う話の中で、「相手の立場もあるからちゃうか」と言う結論に達しました。
 まぁその頃、二人とも、ラッパズボンに襟が高めで、丈がちょっと長めの学生服を着ていましたので、その話を外から聞いていたら、「アホか」と一蹴されそうです。
 しかし、それから15年経つか経たない内に、彼は、年商40億円の会社の社長になり年商100億円を目指して頑張っていました。
 高校を卒業してから15年程経ってから、偶然百貨店で再会した時の彼は、やはり、それなりの服装をしていました。友達が出世しているって言うのは、うれしいものでした。
 彼は、残念ながら上場まじかで、他界してしまいました。彼も私が超える事の出来ない一人です。

 彼の凄い所は、膵臓がんが見つかって、僅か6ヵ月と言う短い月日を経て帰らぬ人となりました。入院先から四天王寺に行き、自分の葬式の段取りを済ませ、その足で会社に行き、幹部を集めて今後の計画を言い渡すと言う、とても私には出来そうもない、人生の終わり方をしたのです。

 ビジネスマンに取って、服装や持ち物は、武士の世界で言えば、甲冑や刀と同じだと思います。それなりの物を揃えた方が良いと思います。
 ただし、これは、人に評価される立場の人で、人を評価する側の権力のある人には、当てはまらないのかも知れませんが、先述した友人は、下からの評価も感じて、服装には気を付けていると言っていました。

 私が公私ともにお世話になった、澤部滋先生(日本空手道修武会会長他全空連、連合会の主要な役職を歴任)は、服装持ち物に対する造詣が深く、いつも手本にさせてもらいました。空手界に対する思いや、足るを知り、行き過ぎる事のない考え方は、澤部先生から学んだものだと思って言います。
 コンピュータを私が知るきっかけを作ってもらったのも、澤部先生でした。大阪市の商工会議所で初めて、マイコンの講習があった時に、参加するように指示していただいたお陰で、少しは、コンピュータにも詳しくなったと思います。その頃、時計の仕事を離れ、空手だけで生活している時に、澤部先生が経営する会社への誘いがあり、組織や会社の勉強の基本を教えてもらった事が、私の人生でどれだけ役に立った事か、この方も、私が超える事の出来ない人の一人です。

 縁があり、色々な人と出会い、そして影響を受けながら、自分が出来ていくのだと思っています。
 ですから、私の考える『礼節』には、服装・持ち物が欠かせない要素となっています。

 次回は、具体的に、お勧めの『服装』『靴』『身に付ける物』などを紹介する事にします。