空手道の「型」を考える Part-2

    【稽古体系によって術から道へ】  

 前回は「型」が持つ要素を挙げましたが、今回はその要素を習得していくことにしましょう。

〈習得の順序〉

  1. 型の順序を覚える
  2. 技の意味を定める
  3. 相対的な技の分解をして技に実感をもたせる
  4. 仮想敵のイメージ化と極めを想定する
  5. 能動から受動への切り替え
  6. 観る
 ざっと以上のような経過をたどります。
 特に、型において、上記5.における能動から受動への切り替えが、組手をする上での重要な意味を持ちます。「型は組み手をするように」そして、「組み手は型を打つように」と思っています。
 では、〈習得の順序〉について、もう少し詳しく説明をいたしましょう。
  1. 型の順序を覚える
     道場で指導者から教えてもらいます。今は、何度も手取り足取り覚えさせていますが、昔は先輩が3回型を演武するのを見せてもらうだけで教えるということは終わりでした。これには、結構意味があって、入社試験においても受験者に短時間を与えて、普通では無理と思われる量の暗記をさせることによって集中力を審査しているようです。集中すると思わぬ能力が顔を出します。このこと自体が修行と言えます。
  2.  技の意味を定める
     型には、通常「型の意味」あるいは「型の分解」と呼ばれ、攻撃に対する防御の仕方、あるいは攻撃の仕方、間の取り方、残心の仕方など、徒手空拳をもって身を守る技術が網羅されています。また、技の中には、表現されている技術のみならず、隠された技が含有されているとも言われています。

     しかし、もっとも大事なことは、身体操作の方法です。特に、「鉄騎」の型には、直立二足歩行の人間がなしえる身体操作の主要な部分が集められています。
     なぜ、技の意味を定めるのかというと、型が集大成された時点では、明確であったと思われますが、時代によってまた受け継ぐ人によって、あるいは解釈の違いから、変革してきたに違いないと考えます。
     私が知るわずか60年ほどの歳月であっても、その変化は無視できないものがありました。道場では、現時点で考えることのできる合理的と思われる意味を定めています。それゆえ他流、または、他会派においての解釈とは当然違うであろうし、異論はあろうかと思います。
     この解釈においては、修行の段階で、各自それぞれ工夫してもらいたいところでもありますし、現在教えている解釈においても私の修行の道程であり、これからも変化していくと考えてください。
     この意味を定めない稽古に意味がないことについて説明することにします。型の順序を覚えることは、形を一つ一つ真似て何度かやってみると、型として演武(型を最初から最後まで行うこと)することは可能です。
     しかし、腕や足を交叉したり、飛んだり、踏み込んだりあるいは払ったり、蹴ったり突いたりと攻防の技とは解っても、その一つ一つの動作が何を意味するのか解っていないと、技として成り立ちません。まして、型の目的の一つである技ができるまでに至るとは思えません。 

    型を行う目的とは

    1.  技の再現性の実現
    2.  空手道に特化した身体操作を身につける
    3.  仮想敵をイメージすることによる実戦とのギャップを埋める
    4.  一心になる

     そこで、「A.技の再現性の実現」を得るため、私は、型の中に包含されている一つ一つの動作(形)は、一つの意味によると定義しています。
     確かに「型」を辞書や百科事典のように考えると、その中に隠されている技やその技の変化など技の宝庫として考えることもできます。そして、より武術的な創意や工夫ができますし、口伝でしか伝承されないといったことも有り得ると思います。
     この場合、「型」に秘められた個別の技を取り出し朝鍛夕練することにって、武術的な技の習得が出来るといえます。
     しかし、あえて私は、演武(型をうつ)という練習体系に目をむけ、型に内在する要素の反復練習による習得を主体にしました。
     理由の一つは、目的を達成するための仕方に適合していると考えるからです。
     もう一つの理由は、人間の脳とそれに付随する筋肉・神経は、反復練習によってしか身に付ける方法が見つけられていないからです。

  3. 相対的な技の分解をして技に実感をもたせる
     意味を想定しても、イメージだけでは実際の役に立ちません。習い事や仕事などに共通して言えることですが、知る事とやれることは、全く違います。 不動智神妙録 Part3に掲載した「理之修行。事之修行。」すなわち、理業一致です。
     しかし、知らなければ出来るように成れない事も事実です。まず、意味を理解した上で、実際にできるか試してみます。
  4. 仮想敵のイメージ化と極めを想定する
    「3.相対的な技の分解をして技に実感をもたせる」で分解による相手の動作を体験することにより、これをイメージ化し、型を稽古する場合、全ての動作において相手の動作を想像し、その動作に対応するように技を表現します。このことにより、単に型を順序どおりに練習する場合と比較すると、形を作る段階から、形を使う段階に進歩することになります。
  5. 能動から受動への切り替え
    「4. 仮想敵のイメージ化と極めを想定する」によって十分仮想敵を出現させることが出来るようになれば、次には、それが習慣となります。その型を始めると自動的に相手(仮想敵)が現れ、自分の意識(能動)から離れ、あたかも相手が実際にいて、攻撃を仕掛けてくることに対応(受動)できるようになります。しかし、この段階は非常に難しく、相当の修練が必要となります。

    6.観る
    この段階は、俯瞰といい、あたかも他の者が組手をしているところを第三者として観察しているような心境で型を演武(うつ)することです。

 〈習得の順序〉の一つ一つが段階を経て心を集中する度合いを高めるようになっています。特に「5. 能動から受動への切り替え」や「6. 観る」については、一心から無心への扉を開く鍵となっています。

 空手を武術から武道へと導く方法であると考えています。

 文武両道は、必要であっても、道への扉はこのような稽古の仕方によって、自然に紐づけされて初めて空手道であると考えています。