「五輪書」から学ぶ Part-3
【地之巻】兵法の道と云事

   五輪書から】何を学ぶか?  

 宮本武蔵は、吉川文学によって、美化され過ぎた面が大いにあると思っています。美化と考えるのは時代の背景にもよりますが、その卓越した文章力と構成力に人々は感銘を受け、心に深く武蔵像を刻んでいったのでしょう。
 そんな思いを、映画や芝居、あるいは漫画などで、何度も何度も、公開されますが、12月になると、決まって放映される赤穂浪士のように、日本人の心を動かすのではないでしょうか。
 『五輪書』は、武蔵から寺尾孫之允信正に宛てた書簡『独行道』とともに、生涯兵法者として生き続けた生きざまを、垣間見ることができると思います。

【地之巻】の構成

 1. 序                  
 3. 兵法の道と云事
 4. 兵法の道大工にたとへたる事
 5. 兵法の道士卒たるもの
 6. 此兵法の書五巻に仕立てる事
 7. 此一流二刀と名付る事
 8. 兵法二つの字の利を知る事
 9. 兵法に武具の利を知ると云事
10. 兵法の拍子の事
11. 地之巻後書
『原文』
3.兵法の道といふこと (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 漢土・和朝までも、この道を行なふ者を兵法達者といひ伝へたり。武士としてこの法を学ばずといふことあるべからず。
 近代、兵法者といひて世を渡る者、これは剣術ひととほり儀なり。常陸国鹿島・香取の社人ども、明神の伝へとして流々を立てて、国々を廻り、人に伝ふること近き頃のことなり。古へより十能・七芸とあるうちに、利方といひて芸にわたるといへども、利方といひ出だすより剣術ひととほりにかぎるべからず。剣術一遍の利までにては、剣術も知り難し。もちろん兵の法にはかなふべからず。
 世の中をみるに、諸芸を売りものに仕立て、わが身を売りもののやうに思ひ、諸道具につけても売りものに拵ゆる心、花・実の二つにして花よりも実の少なきところなり。とりわきこの兵法の道に、色を飾り、花を咲かせて術を衒ひ、あるいは一道場・二道場などいひてこの道を教へ、この道を習ひて、利を得むと思ふこと、誰かいふ「生兵法、大疵のもと」、まことなるべし。
 およそ、人の世をわたること、士農工商とて四つの道なり。一つには農の道。農人は、いろいろの道具を設け、四季転変の心得暇なくして、春秋を送ること、これ農の道なり。二つには商の道。酒を造る者は、それぞれの道具を求め、その善し悪しの利を得て、渡世を送る。いづれも商の道、その身々のかせぎ、その利を以て世を渡るなり。これ商の道なり。三つには士の道。武士においては、さまざまの兵具を拵へ、兵具品々の徳を弁へたらむこそ、武士の道なるべけれ。兵具をも嗜まず、その具々の利をも覚ざること、武家は少々嗜みの浅き者か。四つには工の道。大工の道においては、種々様々の道具を工み拵へ、その具々をよく使ひ覚え、墨矩以て、その差図を糺し、暇もなくその業をして世を渡る。これ、士農工商、四つの道なり。
 兵法を大工の道に喩へていひ顕すなり。大工に喩ゆること、家といふことにつきての儀なり。公家、武家、四家、その家の破れ、家の続くといふこと、その流、その風、その家などといへば、家といふより、大工の道に喩へたり。大工は、大に工むと書くなれば、兵法の道、大きなる工みによりて、大工になぞらへて書き顕すなり。
 兵の法を学ばむと思はば、この書を思案して、師は針、弟子は糸となつて、絶えず稽古あるべきことなり。

加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』
 3.兵法の道ということ
 唐でも、わが国でも兵法の道の体得者は高く評価されている。武士としては、この兵法の道を学ばなければならない。
 天真正伝神道流をはじめとするさまざまな流派が、諸国を廻り兵法者と称して生計をたてているのが現在の世相である。兵法者と言っても、それは剣術だけのことであり、兵法とは言えない。
 兵法は、戦いに勝つ理論で、剣術だけに限らない、剣術だけでは、一対一のみならず、多人数の合戦に即応することはできない。
 世間をみるに、表面的に飾り立て売り物にしている。とりわけ兵法については、見栄えを良くし、見せびらかして道場を幾つも持ち、教えたり習ったりしても、「生兵法は大怪我のもと」である。
 生計を立てるには、士農工商に則った道があり、武士においては武具を常に手入れして、その武具のはたらきを心得るのが武士の道である。
 兵法の道を大工の道にたとえて、書いておく。理由は家にかかわるからである。大工とは、大いに工(たく)むと書くが、兵法も大いに工む必要がある。すなわち、深く思慮し、手立てを工夫する。

 『私見』
 かなり乱暴に端折って『現代文として要約』を試みましたが、武蔵が考える武士の姿と、現実のギャップに、武蔵が釈然としないでいるさまが、よく表れていると思います。
 乱世から平和な時代へと移行した時期には、多分そんな世相であったろうと頷けます。きっと、第二次世界大戦後の日本人の中には、そんな人が沢山いただろうと、推察する事ができます。

 しかし、『近代、兵法者といひて世を渡る者、これは剣術ひととほりなり。常陸国鹿島・香取の社人ども、明神の伝へとして流々を立てて、国々を廻り、人に伝ふること近き頃のことなり。古へより十能・七芸とあるうちに、利方といひて芸にわたるといへども、利方といひ出だすより剣術ひととほりにかぎるべからず。剣術一遍の利までにては、剣術も知り難し。もちろん兵の法にはかなふべからず。』の一節を見ると、前半は兵法者が生計のために芸を売る事を嘆いているように見えるのですが、最後の所で、今風に言うと、「そこ!」と言いたくなるのは、私だけでしょうか。
 読み方によっては、世の堕落を嘆くより、それでは、兵法の理ではないから、勝つ事ができない。と読めてしまいます。そのあたりが、天才的な剣豪として生き切った武蔵と、凡人との差なのでしょうか。あくまでも、勝ち負けに拘った人生感がにじみ出ています。

【参考文献】
 ・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.