文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【53】

 今日の一文字は『案内』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第五十二段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 案内

 
 大阪府警富田林署で勾留中だった樋田淳也容疑者が逃走してから、1ヵ月が過ぎましたが、手掛かりがありません。懸賞金もかけられたようですが、いつになったら捕まるのでしょう。女性は特に注意が必要です。

 自由民主党の総裁選が行われていますが、マスコミは何とか、安倍首相を引き下ろそうと、手を変え品を変えているように見えますが、今、これだけ災害が起きている時に、総裁選どころではないと思いますが、石破茂氏も、議論ができないと、街頭演説で怒りをあらわにしているらしいですが、いま議論する時か迷います。

 今日も雨の一日になりそうです。

 お習字も、五段の課題を2つ提出していたのですが、不合格で再提出になりました。

 早速、昨日は4時間ぶっ続けで書きましたが、上手く行かず、今朝3時間書きましたが、まだ完成には至りません。昼からまた挑戦しますが、書けば書くほど、難しくなってきます。

 前かがみで、3時間はきついですね。ちょっと休憩することにします。

 さて、ブログの更新に取り掛かりましょう。

 
徒然草 第五十二段 〔原文〕

 仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人徒歩かちより詣でけり。極樂寺・高良こおらなどを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さてかたへの人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎてたふとくこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。

 すこしの事にも先達せんだちはあらまほしきことなり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『仁和寺のある法師が歳をとるまで石清水八幡宮に参拝したことがなく、情けないと思い、思い立って、只一人徒歩で詣でた。
 極樂寺・高良こおらなどを拝んで、これだけか、と思って帰った。
 そしてまわりの人逢い「永い間思っていた事を叶えて来た。聞いていた事に引けを取らない尊さだった。
 それにしても、参拝の人達がみんな山に登るのは何かあるのだろうか。確かめて見たかったが、神殿に来ることが目的だったので、山には登らなかった」と言った。

 些細な事でも、案内の人がいる方が理想的だ。 』

 

 

 

『案内』

 どうも、山麓社殿を石清水八幡宮と勘違いしたような話でした。

 今では、大阪市中央区の淀屋橋駅から京都府京都市東山区の三条駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線で、名称を京阪本線というそうですが、その八幡市と言う駅でおりて、男山ケーブルに乗れば、およそ3分で山頂に着くそうです。距離は1.067m、高さが82mですから、歩くと結構あります。

 この法師が参拝した、極楽寺は鳥羽伏見の戦いの兵火で焼失して今は無いそうですが、石清水八幡宮の南に位置し、石清水八幡宮まで極楽寺から1.5km位でしょうか。

 しかし、この法師は、石清水八幡宮の麓をぐるりと回り、石清水八幡宮から八幡市駅の間にある高良神社には行ったのですね。極楽寺から約2kmと言ったところでしょう。

 この段で兼好法師は、知らない事は事情通に聞いた方が良いと、言いたかったのだと思いますが、この仁和寺の法師、 つかなくても良い嘘を言っています。

〔忖度〕

 私は、この嘘の方が問題だと感じました。嘘と言うのは言い過ぎかも知れませんが、積年の願いを叶えた割には、思った程では無かったのかも知れません。

 それを逢った人には、「聞きしにも過ぎてたふとくこそおはしけれ」と、絶賛したような口ぶりです。

 この法師の真意は量りかねますが、今でもそういう場合はあるのかも、知れません。

 いわゆる、今はやりの言葉ですが、「忖度」でしょうか。相手の気持ちをおもんぱかって、すこし、大げさに言ってしまう事です。

 又は折角念願の事を叶えたので、悪くは言えない。自分への慰めと言えるのかも知れません。

 時には、こういう「嘘」は、許されるのかも知れません。「嘘も方便」とも言いますから、人に悪い影響がない場合、あるいは語源のように、危険を回避するためについた嘘は、良いと思います。

 ただし、忖度そんたくおもんぱかる」ことも、程度の問題があります。この程度をおもんぱかる事が一番大切だと思っています。

 なんだか、ややこしい言い方になりましたが、例えば、上司に対して「忖度そんたく」して、相手が望む以上の事をしようとする場合、その上司が迷惑する事も考えてしなければ、小さな親切大きなお節介になってしまいます。

 この「小さな親切大きなお節介」が、世の中には結構多いと思います。

 しかし、この事を考えすぎると、ちょっとした 思いやりも出来なくなってしまいます。

 で、仕方がないから、自分がして貰いたい事をして、して欲しくない事は、自重しようとするのですが、これも、人によって随分違う事が、この歳になると解ってきます。

 これに追い打ちをかけるように、価値観が随分変わってきましたし、価値観も多様化しています。

 なにより、常識が年代だけではなく、同じ年代の人同士でも違ってきています。

 随分、「思いやり」と言うのは難しいものです。ですから、同じ価値観の人とは、気が合うのでしょう。

〔事情通〕

 では、「すこしの事にも先達せんだちはあらまほしきことなり。」について少し、思いを巡らせてみましょう。

 ここでは、「些細な事でも、案内の人がいる方が理想的だ。」と訳しましたが、この案内する人は、事情通でなければなりません。

 これも、今の私の大部分の情報源である、テレビ番組の中で知ったのですが、ある山歩きの案内人の事です。

 まず、朝一番にコースを歩いて、新しい情報を仕入れる事から、案内の仕事が始まります。それも一人でコースを歩くのです。

 例えば、この木には、こんな珍しい昆虫がいるとか、今日咲いた花があるとか、様々な情報を仕入れて置いて、お客さんを案内する時に、少し立ち寄りながら、情報を開示して行くのです。

 これは、「情報通」「事情通」と呼べるのではないでしょうか。仕事に対する責任感と熱意が感じられます。

 最近は、「京都検定」「なにわなんでも大阪検定」など、地方によって、北海道から沖縄まで、色々な検定試験があるようです。

 しかし、確かに情報を知識として詰め込んでいる事は、引き出しが一杯できるので、案内人としては基礎が出来たと言えます。

 ただ、この「情報通」「事情通」から、少しレベルアップする為には、知識を十分相手に伝える事の出来る、話し方や表情など、接客方法まで身に付けないと上手く相手に伝わりません。

 案内するのですから、知っていて当たり前です。しかし、例えば観光バスのバスガイドさんなんかは、そのキャラクターの良さが求められています。

 バスから降りて帰路に着く時、今日のガイドさん、感じよかったね、と言われるようになれば、単なる物知りから、人気者に変身すると思います。