「五輪書」から学ぶ Part-17
【水之巻】足つかひの事

   五輪書から】何を学ぶか?  

 地球上に存在する生物の中でも、珍しく二足歩行をして生活をしている我々人間ですが、この不安定な立ち方でも、不安を感じないで色々な運動を、二本の足で可能にしています。動物の進化なのでしょうが、二本足で歩くようになって随分経ちます。
 先日、日本人が、100メートルの短距離競走で、10秒を初めて切ることが出来ました。
 果たして、江戸時代初期の剣客と比べて、少しは進化しているのでしょうか。
 若い時には、気にも留めなかった、下半身ですが、近頃は、ほんの少し動かさないと、劣化していきます。
 毎日少しでも、足運びの鍛錬を続けたいと思っています。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
 6. 足つかひの事
 7. 五方の搆の事
 8. 太刀の道と云事
 9. 五つの表の次第の事
10. 表第二の次第の事
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
6. 足遣いのこと (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 足の運びやうのこと、爪先をすこし浮けて、踵を強く踏べし。足遣ひは、ことによりて、大小・遅速はありとも、つねに歩がごとし。足に、跳び足、浮き足、踏み据ゆる足とて、この三つ、嫌ふ足なり。
 この道の大事にいはく、陰陽の足といふ、これ肝心なり。陰陽の足は、片足ばかり動かさぬものなり。斬るとき、引くとき、受くるときまでも、陰陽とて、右左右左と踏む足なり。かへすがへす片足踏ことあるべからず。よくよく吟味すべきものなり。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』
 6. 足の運び方

 足の運びかたについては、爪先をすこし浮かせて、踵を強く踏むべきである。
 足の運びは、場合によって、大きく動いたり、僅かに動いたり、遅い時も、速い時もあるが、通常歩くように足を運ぶ。足の運び方の中では、飛足、浮足、踏み留める足の三つは、悪い足の運び方である。
 この兵法の道では昔から、陰陽の足という教えがあるが、これが肝心である。。陰陽の足とは、片足だけを動かさないものである。斬るき、退くとき、受ける時でも、陰陽と言って、右左右左と足を踏み変える。決して片足だけを踏み運んではならない。

 『私見』

 現在では、剣道でも競技主体に練習する風景をよく見ます。足運びも、右足を前に左足を引いて踵を浮かせて構え、右足を前に踏み込み、左足がその動きについて行きます。もちろん、歩み足もありますし、送り足、継足など様々な足運びが用意されていますが、空手と同じで、用意されてはいますが、競技に有効な足運びの練習が主体となるのは、仕方のない事だと思います。

 剣道の事は詳しくないので、一概に言う事はできないと思いますが、空手の場合でも、歩むように技を繰り出すのが理想であると思います。空手とは一線を画していますが、沖縄には本部御殿手という、武術があります。随分昔にお会いした事はありますが、達人と言われた第12代伝承者、上原清吉先生の動きは、まさに歩くように技を繰り出します。

 「足に、跳び足、浮き足、踏み据ゆる足とて、この三つ、嫌ふ足なり。」(原文)私が空手を始めた頃の足運びは、よく床に薄紙を引いて、その紙が乱れないように足を運ぶのが良いと言われていました。
 すり足と呼ばれる運足の方法です。すり足は決して、床を擦りながら足を運ぶのではなく、薄紙にすれすれで足の裏を運んで行く動作です。これは、実際にやってみると、非常に難しく、未だに出来ません。
 しかし、床から足の裏が離れるほど、着地した時に音がします。これもまたダメな運足方法です。静かに、踏みしめず、軽やかに運足する事が理想だと思っています。
 私も道場では、指先を浮かすまでいかないまでも、指先で床を掴まないよう指導しています。これは、居着が起こらないようにするためです。
 武蔵の言葉を誤解しないよう、付け加えますと、「爪先をすこし浮かせて」(原文)「浮足」(原文)とは、全く違った状態です。「浮足」(原文)とは、重心が浮ついた足運びのことであって、これを戒めているのです。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.