文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【209】

 今日の文字は『ひも』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百八段』を読んで見て、感じた文字です。

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☆『復興工事遅れ、石巻市が契約解除 業者は「一方的だ」と続行』
(共同通信社 2019/02/19 09:03)

 「東日本大震災の津波で被災した宮城県石巻市で、防潮堤工事を発注した市と受注業者が対立している。工期の遅れに業を煮やした市が契約を解除したのに対し、業者側は「一方的だ」と工事を続行。市が工事の差し止めなどを求め、仙台地裁に仮処分を申請するという異例の展開をたどっている。

 業者は石巻市の建設会社「カルヤード」。2016年9月、同市雄勝町の小島漁港で海抜6.4メートルの防潮堤を約400メートルにわたり建設する工事を約9億4500万円で受注し、工期は18年10月までだった。

 だが市によると、進捗率は18年7月末で約15%と著しく遅れていた。」

 この記事だけで判断するのは間違いかも知れません。しかし、「一方的」と言うのはどうでしょう。昨年10月が納期と思われますが、7月で進捗率が15%であれば、市としては、市民の代表としてクレームを付けるのが当たり前だと思います。

 また、考えられないのは、この記事には書いてありませんから、何とも言えませんが、納期までにこの業者は、市に対して何らかの事情説明があったのでしょうか。

 そして、この工期の遅れの原因は何だったのでしょうか。進捗率15%と言うのも、ただ人手不足だけでもなさそうな気がします。

 原因を調査し、早く工事を終わらせてほしいと願います。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百八段 〔原文〕

 經文などの紐をふに、上下よりたすきにちがへて、二すぢの中より、わなのかしらを横ざまにひき出すことは、常のことなり。さやうにしたるをば、華嚴院けごんいん弘舜こうしゅん僧正 解きて直させけり。「これは、この頃やうのことなり。いと見にくし。うるはしくは、たゞくるくると捲きて、上より下へ、わなの先をさしはさむべし」と申されけり。

 ふるき人にて、かやうのこと知れる人になん侍りける。

 

『現代文』

『経文などを紐で結わえる時、上下から紐をたすき掛けにし、二筋の紐の中から、輪になった紐の先を横に引き出すのは、普通にする。このようにした物を、華厳院の弘舜こうしゅん僧正は、解いて直させた。「これは、この頃のやり方で、大変見苦しい。正しくは、ただくるくる巻いて、上から下へ、輪の先を差し挟むのべきである。」と言われた。

 歳を経た人で、このような事を知っていた人なのでしょう。』

 

 

『紐』

 この文章から紐の結び方を想像する事は、出来ませんでした。

 ただ、原文には、直される前の結び方が『常のことなり』と書かれてありますから、当時としては、正しいかどうかよりも、一般的な結び方であったのでしょう。

 しかし、この華厳院の弘舜こうしゅん僧正は、この結び方を『いと見にくし』とわざわざ解いて結び直させています。

 果たしてこのような事が正しい知識であるとか、正しい振る舞いと言えるのでしょうか。場合によっては、老害と言われかねません。

 確かに、この僧正の結び方が、しっかり世間に伝わっていて、正しい結び方として世の中に広く浸透しているのであれば、解いて直すのは当然正しい行為とされます。また、この僧正が紐の結び方の権威であり、正しい方法が書き記されていて、これを守っている人であれば、それなりの理由があるのかも知れません。

 しかし、ここに『常のことなり』と書いてありますから、どちらが一般的な結び方か、推測しますと、僧正の結び方は古いやり方であり、すでに『常のことなり』の方が正しいと思えます。

 これには、反論があると思います。新しい物、一般的に行われている事が、正しいとは限らない、と。

 こんなところで、諸行無常と言う言葉を持ち出すのもどうかと思いますが、時代によって、風習や仕来りは、変化するのは当然の事と思います。

 また、美醜についても、その時代により変わってきますし、個人の好みによっても変わります。ですから、『いと見にくし』と言うのは、弘舜こうしゅん僧正の主観であると思いますがどうでしょう。

 自分が慣れ親しんだ物事には愛着もありますし、一種のマインドコントロールをされて、自分の好き嫌いが出来ているとしたら、如何に自分が正しいと思っても、今のやり方を、容認するような度量を持つべきではないかと思います。

 それでも、色々検証した結果、昔のやり方に相当の根拠があると思えば、これを主張するのが良いのではないでしょうか。

 特に、年老いてから、現在のやり方に異論がある場合には、このような態度で臨まないと、先述しましたが、老害と言われかねません。面と向かっては言わないまでも、陰では『くそジジイ』と言われているかも知れません。