お習字から書道へ Section 14

 このブログの名前が「髓心ブログ」。そして、「髓心」と言う言葉が、私の信条であり、求める道です。

 今回、「お習字から書道へ」とテーマを決め、通信教育を通して東京書道教育会で、毎日のように筆を持つ機会ができました。

 そして、「普通科師範」に合格し、雅号登録を申請し「髓心」と言う雅号が登録されました。「雅号登録証」の隣にあるのが、「全国書道師範連盟 会員証」です。昨日(2018年5月27日)に届きました。

 前回は、縦画の起筆について、書き方のポイントを書いて見ました。いずれも、楷書を念頭に置いていますので、行書や草書の筆使いではありません。

 今回は、縦画の終筆について、書いて見たいと思います。
 カタカナの「オ」と言う文字を載せましたが、これも前回と同じで、東京書道教育会の初級コースの課題で、「ボールペン・バイオリン・サッカー」と、半紙に三列に書く課題です。その中の「バイオリン」の「オ」の文字です。赤丸で示した部分が、縦画の終筆の一つで「はね」と呼ばれています。これは「左はね」です。 

 次に「ル」と言う文字がありますが、これも同様に課題から取り出した文字です。
 この赤丸に示した部分は、縦画から右に払った所です。

 この他、縦画の終筆には、図に示すように、「払い」「とめ」があります。

 幾つも種類があるのは、前回同様、書道界では有名な先生の文字から取り出し、トレースしたものです。「はね」「とめ」にしても、個性があるものです。
 ですから、正しいと言える終筆も、起筆同様にないという事です。だからと言って、何でも良いかと言うとそうでもありません。書道界で有名な先生方は、古典の臨書を経て芸術性の高い書を書く事の出来る人達です。基本を疎かにして、成り立っているものではありません。

 縦画終筆のポイント  

 ここで書くポイントは、色々な書物に掲載されている方法ではありません。ですから、色んな書物の方が感覚が掴みやすいと思われる方が多いのかも知れません。
 しかし、私にはなかなか理解がしにくかった筆使いですので、ここでは、私の感覚で筆使いを書いています。

 私の持っている書籍の中では、「骨書き」と言う方法で、筆の動かし方を表した物や、穂先が文字のどの部分を通るかを示したものがあります。
 この穂先がどの部分を通るかを知る事は、筆がどのように使われているかを知る目安になります。

 では、「とめ」と言う終筆は、どのように書けば良いのでしょうか。

 私は、筆を止める直前まで、筆の背と腹は紙に対して45度を向く書き方をしています。これは気持ちの上での事で、実際の筆の動きとは若干違います。そのあたりは、イメージとして捉えてください。そこでほんの少し右斜め下に背と腹の角度を変えないで、ずらします。このずらし方とずらす距離がコツになると思います。

 その時、やや筆の左面紙面に触れるようにしたら直ぐに、穂先を中心に筆の腹を右回りに回転させ、筆の右面を紙面に触れるようにして、少し押し返します。これで、最下点の形が整い、若干図の終筆縦画(とめ)の中2つのように左側に筆跡がでます。図のような形が取れない場合はやって見てください。ただし、筆の動きは殆ど動きませんし、特に軸をくるくる回す事はしません。
 
 これからも、「筆を押し返す」と書く事があると思いますが、この「押し返す」のは、筆の穂先と軸の間にS字型を作りそのクッションを利用します。これは、次回にもう少し詳しく説明します。

 次は、「はね」と言う終筆について書いて見ましょう。

 これも、はねる直前までは「とめ」に書いたものと同様です。「筆を止める直前まで、筆の背と腹は紙に対して45度を向いています。」と言う所です。
 ここからが、「とめ」と少し違います。「とめ」の場合は、少し右下にずらしますが、ずらしません。穂先を中心に筆の腹を時計回りに45度程度回転させます。それで最下点の形を整えます。
 それから、少し腹を上げながら真上に突き上げながら、筆の背と腹の角度(殆ど垂直)を変えないで、真横に移動しながら腹を上げ、穂先を整えます。
 これで、上の図の「オ」の赤い円の「はね」が出来ます。

 ここで出てきた、「突き上げる」方法も「押し返す」のと同じ方法です。

 次は、図にある「払い1」を再現してみましょう。

 これは、そんなに難しくありません。ただ、左側に寄っている穂先を中央に移動します。その時に45度で起筆をした背と腹の角度が垂直になりながら、穂先を整えていきます。

 縦画の部分に入るかどうかは、分かりませんが、「ル」にある「右払い」も再現してみる事にします。

 これも、「右払い」になる直前までは、「筆を止める直前まで、筆の背と腹は紙に対して45度を向いています。」ここまでは、「とめ」「はね」と同じです。

 ここから「少し右下にずらします」と言う所は「とめ」と同じで、背と腹の角度を変えずにずらします。この時少し腹の部分を紙面すれすれに上げます。そしてもう一度起筆のように、45度の角度で点を打ちこみます。次はこの背と腹の角度、45度を変えないで、右斜め上に徐々に腹を上げながら背の部分の穂先を整えて行きます。

 ここで「打ち込み」と書きましたが、筆の使い方は先述した「S字型」の方法です。

 

 書と道 

 「お習字から書道へ」と題し、書き進めてきましたが、その理由を書いて置きます。

 私は空手道を歩む者です。ですから、書も同じように「道」として考えています。
 
 では初めから書道をすれば良いかと言うと、私の空手での経験では、ある程度基礎がないと、道に一歩歩み出せないと思っています。

 例えば登山をしようと思い、「山があるから登るんだ」と哲学的な意味合いだけで、挑戦しても、登山には登山の方法があります。登山家が長年蓄積したノウハウがあり、それを無視すると大きな事故を招く事になりかねません。
 これは、何も登山だけに限った事ではなく、車やバイクを運転する場合でも同じです。いつも口にする事ですが、「ものには仕方があります。」

 「お習字」や「書写」と言う言葉は、書道をするための入り口と考えています。
 同じように、習い事の基本は「守・破・離」である言われています。このブログでは何度となくこの言葉を使っています。

 まず「守る」べきものを持たなければ、守りようがありません。この守っている間は、自分がやっている事に自信をもち、何の迷いもなく信じて疑いのない気持ちで精進すれば良いでしょう。

 ここで大切なのは、自分が今どこにいるのかを知っておく事です。どこにいるかと言うのは、道程のとば口なのか、道半ばなのか、それとも既に目的の地点に立っているのかを自覚できているという事です。

 でなければ、「井の中の蛙大海を知らず」で、気付かない内に、只々恥ずかしい思いを重ねるだけになってしまいます。自信を持つのは、自分のやっている事に迷いを持たないと言う意味で、これが絶対に正しいと言う自信ではありません。

 「書道」でも「空手道」でも、殆どの人が『守』に留まって、砂上の楼閣の上に胡坐あぐらをかいてしまいます。それは、自信が過剰になってしまうからでしょう。

 ここで偶然なのか、必然なのか分かりませんが、自分の至らなさを知る機会を得る事ができれば、「謹慎謙譲」と言う事が、社会的な動物として如何に大切である事かを知る事になります。
 もしかしたら、その機会は大きな失敗かもしれませんし、赤っ恥をかく事かも知れません。あるいは、生死をさまようような体験かも知れません。

 そんな思いを通過しなければ、『破』と言う段階に行ってはいけません。なぜなら、単なる思い込みや不遜な考えに過ぎないからです。

 『道』と言うものは、「書道」であれ「空手道」であれ、歩む道、すなわち人生であるべきだと思います。

 「書道」は、芸術的な側面がある事は事実でしょう。しかし、芸術というものは、自ら芸術作品を作るものではないと思っています。

 前に「美しくなったから使いやすくなったのではない。使いやすくなったから美しくなった」という、刀匠、河内國平氏の言葉を紹介した事がありました。「道」と言うものをよく表した言葉だと思います。
 
 「書道」の場合は、書かれた物が芸術であるかどうかは、見た人が判断する事で、決して芸術を意図して書かれたものではあってはならないと思っています。

 芸術と言う評価は、私にはよく分かりません。あくまでも、芸術作品に高額な値段がつけられる事に対してですが。

 ただ、「空手道」の場合には、人に見せるものではないにせよ、「型」を見た人が、感動したり、「書道」の場合には、書かれた文字に対して、感動したり、そんな事ができるようには成りたいと思います。

 ですから、「お習字から書道へ」、と名付けました。
【言葉の説明】
・守破離:
 千利休(1522-1591)[茶人]の詠った和歌に『規矩作法 り尽くしてるとも るるとても本を忘るな』がありますが、その守り、破る、離るるの文字を取り、守破離の語源であるとされています。
 私は、「能」で知られる、世阿弥(室町前期の能役者・能作者)が修行の段階を書いてあるのを読んだ覚えがあり、それ以来よく使う言葉です。
 最後の「本を忘れるな」という事も大切な言葉だと思っています。修行の最終段階で、心や体が自由自在の境地に達しても、基本精神は、忘れないようにしないといけない意味と思っています。

 

【参考文献】
・青山杉雨・村上三島(1976-1978)『入門毎日書道講座1』毎日書道講座刊行委員会.
・高塚竹堂(1967-1982)『書道三体字典』株式会社野ばら社.
・関根薫園(1998)『はじめての書道楷書』株式会社岩崎芸術社.