『組手考察』....<2/10>
ただ組手に対する素質があり反応に敏感であればあるほど、自分の攻撃、あるいは反撃のさなかの相手の動きや攻撃は気になるものです。いや、気になるという類(たぐい)のものではありません。これに応じようと心や体が実際に反応を起してしまいます。しかしここに心や体が囚われてしまったら自らが主体の組手は出来なくなってしまいます。繊細かつ大胆でなければなりません。
ただ、組手は個人の危機管理とも言えるものですから、想定外があってはなりません。矛盾してはいますが、二の手に対する働きも視野から外す訳にいきません。二の手を許さない稽古を充分に積んで想定外の範囲をできる限り狭くします。ここでいう二の手とは残心で対応できる範疇を超えた部分です。
また、組手というものに範囲を決めて置かなければなりません。これはルールではなく、空手道の攻防の技の及ぶ所という意味です。
あくまでも徒手空拳をもって人間同士が戦う。そして1対1で勝負を決するということに限定することです。
この当たり前の前提から逸脱してはなりません。空手道の技術は万能ではないのです。空手道で得た心を万能にするべきなのです。心構えとして1対多、相手が武器、不意の攻撃などは時として必要ではありますが、あくまでも心構えで良いのです。飛躍してはいけません。実際には人生の中でそういう体験をする場合もあるかも知れません。しかし、組手を練習する目的を逸脱しては元も子もなくなるのです。
組手に対する具体的な注意点は、宮本武蔵で有名な『五輪の書』を超えるものはないと思っています。
剣術とはいえ、徒手空拳の空手においても役立つ事柄が満載されています。ただ、読めばできるものではありません。また理解をしてこれを身に付けることは並大抵のことでもありません。常々の稽古の中から発見して行ってください。
また、項目だけ載せておきますが、自分で原文を読むなり、訳文を読むなりして研究してください。このホームページの「朝鍛夕錬」の所でも私の見解を少しずつ披瀝して見たいと思っています。
地之巻
「兵法の拍子の事」