『礼と節』....<1/12>
武道といえば、礼と節。一般的に非常に結び付きが強いものだという印象があります。ですから、髓心会では、まず、
一、 自らを高める場所に対して
一、 自らを直接間接に指導教育してくれる方に対して
一、 自らの向上に手を差し伸べてくれる方に対して
一、 自らと向上を共にする人たちに対して
一、 自らが関わるすべての人たちに対して
いずれの場合にも美しく礼を表現できるように習慣化します。
人から無理やり「しつけ」られるのではなく、自らが自分自身の向上のために「躾」ることが大切であると思っています。故佐々木武先生が松濤五条訓の『・・・すること』を『・・・します』と変更されたことが良く理解できます。
社会に適応するべき道を歩む者の、振る舞いとして礼儀と節度を身につけることが、修行のはじまりであると考えています。
その目的は違っても、武道は、その稽古の過程で武術の習得を目指します。空手であればそれは相手を殺傷するための稽古と言えるでしょう。私の知る限りでは、空手道の修行を志す人が、その修行半ばにおいては、粗暴でかつ高圧的、社会人として悖る(もとる)人たちが少なからず見受けられるからです。
かく、言う私も、ごたんぶんにもれずそんな時期を過ごしてきました。
まんがとか映画にでてくる武道家を格好いいと思っていましたから、学校の勉強はからきしだめな私でも、武道に関する本やまんがなどは、興味をもって読みあさった時期があります。
そんなことをやっていると、どうも、自分は間違っているのではないかと、思うようになり、ようやく道としての空手に目覚めました。いや、目覚め始めましたと言った方が正確でしょう。いまだに、覚醒してはいないのですから。