さて、今日は「不動智神妙録」の十二番目(急水上打鞠子)と十三番目の項目(前後際断)を紹介しながら、読み解いて行くことにしましょう。
- 急水上打鞠子
急水上打鞠子、念々不停留と申す事候。
急にたきつて流るゝ水の上へ、手毬を投せば、浪にのつて、ぱつぱと止まらぬ事を申す義なり。
【出典】池田諭(1975)『不動智神妙録』, p.80. -
前後際断
前後際断と申す事の候。
前の心をすてず、又今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きつてのけよと云ふ心なり。是を前後の際を切て放せと云ふ義なり。心をとゞめぬ義なり。
【出典】池田諭(1975)『不動智神妙録』, p.81.【読み解き】
昔の言葉であるからといって、必ずしも難解とは限らない。ここに上げているのは、他愛もない事柄を引き合いに出し、只々止まらないさまを言い、時系列的に今を表し、今の大切さを語っています。
言わば、総論的に「不動智」の何たるかを言わんとしたのでしょう。ここでは、動画を見ていただき、道半ばではあっても、無心の動きに比較的近い瞬間を見れるのではないかと、思います。
やってみたい人は、目標を臍の位置位から始めたら、やり易いかも知れません。少しづつ上に目標を置いて、試してください。注意する事は、形に囚われない事。ただひたすら目標に向かって拳を突き出します。構えたところで、一切の雑念を、突き破る事に集中して、一心になります。私は「無心の前の一心」と言っています。突く覚悟ができた瞬間、体を動かします。ここから、新聞を突き抜けるまで、一瞬ですが、無心になります。この感覚を覚えて見ましょう。
小難しいことを、長々と紹介しましたが、要約すれば、凡人の心は動かなくても良いところでチョロチョロ動き、動く必要がある時には、カチカチになって動けない。という事でしょうか。
現在の会社という組織で、比喩するとしたら、一般社員は、日々の雑事に追われ、先が見通せない。社長は全体を見通し、先を読んで経営をする。という役割分担の中で組織が成り立っているという事でしょう。この社長にあたる役割が「心」であるのではないでしょうか。で すから、会社で何かがあると、社長が責任を負う義務があるのです。
池田諭著の「不動智神妙録」の最後に次の歌を載せてあります。「心こそ心迷はす心なれ、心に心心ゆるすな」
池田諭著の「不動智神妙録」では、前後際断の次に「水焦上、火酒雲」と言う言葉を挙げて、短い命を大切にと言っていますが、不動智とは結びつかないと思いましたので、ここでは、【沢庵和尚柳生但州江兵法問答】(写本の内の一つ)に従うことにし、この後の文章、柳生但馬守宗矩に宛てた諫言と共に、割愛いしました。また、この文章は、かなり辛辣ではありますが、二人の関係を量ることのできるものだと思います。
【参考文献】
・池田諭(1970-1999)『不動智神妙録』 徳間書店.
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