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「五輪書」から学ぶ Part-14
【水之巻】兵法身なりの事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 『一芸に秀でる者は多芸に通ず』と言う諺があります。まさしく、宮本武蔵はそういう人だったのかも知れません。ただ、多芸は無芸とも言われ、器用貧乏との謗りを受ける事もあります。

 私の人生は、結構波乱万丈で、職業も10回も変わっています。住まいも6回変わりました。変わっていないのは、空手と妻と子供ぐらいのものです。
 仕事を10回変わると、色々な知識や技術が自然と身に付くものです。しかも、全く違う分野を転々としていましたので、いやでも身に付けなくては生きていけません。

 そして、人からは器用貧乏と言われてきました。それでも、組織に属していた頃は、それなりの地位にもいましたが、長続きしないので、貧乏と言うほどではありませんが、カツカツの生活を余儀なくされています。

 武蔵を引き合いに出すのは気が引けますが、武蔵も結構、経済的には恵まれない人生では無かったのかと思います。
 武蔵のように秀でる事はないにせよ、一つの事に惹かれ、一芸の道を行くのも、幸せな事だと思っています。

 今回は、天一流の根本とも言える、心の在り方に続いて、基本的な立ち振る舞いについて、詳細に説明しています。

 丁度空手の道場に入会して、初日に習う事と同じです。道場の出入り、挨拶、立礼、座礼、道着の着方、帯の結び方などを教えます。特に日本空手道髓心会では、私が通った日本空手道致道会の礼法を継承し、帯は座って締め、人の前を横切らないよう指導しています。特に現在の大人が忘れがちな、返事の仕方です。「ハイ」と言えるようにしています。
 この返事の仕方が身に付くと、きっと、大人になってから役に立ちます。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
 3. 兵法身なりの事
 4. 兵法の眼付と云事
 5. 太刀の持様の事
 6. 足つかひの事
 7. 五方の搆の事
 8. 太刀の道と云事
 9. 五つの表の次第の事
10. 表第二の次第の事
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書

『原文』
3. 兵法身なりのこと (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 身のかかり、顔は、俯かず、仰のかず、傾かず、ひづまず、眼を乱さず、額に皺を寄せず、眉間に皺を寄せて、眼の玉動かざるやうにして、またたきをせぬやうに思ひて、眼を少し竦めるやうにして、うらやかに見ゆる顔、鼻筋直にして、少し頤出す心なり。首は、後の筋を直に、項に力をいれて、肩より惣身はひとしく覚え、両の肩を下げ、背筋を陸に、尻を出さず、膝より足先まで力を入て、腰の屈まざるやうに、腹を張り、楔を締むるといひて、脇差の鞘に腹を凭せて、帯の寛がざるやうに、楔を締むるといふ教へあり。
 総じて、兵法の身において、つね
の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること、肝要なり。よくよく吟味すべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』
 3. 兵法における身体の様子のこと

 顔は俯(うつむ)かず、仰向かず、傾かず、歪まず、キョロキョロせず、額に皺を寄せず、眉間に皺を寄せて、眼の玉が動かないようにして、瞬きをしないよう心掛け、眼を少し細めて、全体的にのびのびと見通したような顔をして、鼻筋を真直ぐに、少し顎をだす気持ちである。うなじに力を入れて首の後ろを伸ばし、肩より下は全身が同じように感じ、肩を下げ、背筋を伸ばし、尻を出さず、膝より足先まで力を入れて、腰が前かがみにならないよう、腹を張り、楔(くさび)を締めると言って、脇差の鞘に腹をもたせかけて、帯が弛まないよう、楔を締めるという教えがある。
 兵法においては、常の姿のありようが兵法の姿であり、兵法の姿が常であることが大切である。

 『私見』
 この項も随分原文を意訳して、解りやすく要約したつもりです。それにしても、微に入り細に穿つ説明でした。
 ただ、親切な事は解りますが、このように型にはめると、身動きが取れないような気がします。これもやはり、現代人のエゴなのでしょうか。
 
 「・・少し頤出す心なり。」(原文)を、現代文の要約で「少し顎をだす気持ち」としました。これは、参考文献(2冊)でも「頤を出す。」となっていました。しかし、前後の文章から違和感を感じています。また、『頤【に】』の【に】は、「頤を」と訳さない方が良いのではないかとも考えています。

 写本でも『頤に』や『頤を』と色々あり、どちらが原本と同じか解りません。ただ、写本の経緯から「に」であったのでないかと、思っています。
 ちなみに、頤(おとがい)を顎(あご)と同義語としています。【出典|三省堂大辞林 第三版】
 これは、あくまでも私なりの考えですが、首筋を伸ばし、鼻筋を真直ぐにする気持ちが、顎を引き上げるように感じるのではないでしょうか。通常は顎を出す事で良い印象はありません。

 空手では、右の写真の右端、『含胸抜背』を心がける事が、呼吸もしやすく、重心も下に下がりやすいと思います。
 この場合も、顎は出さず、また、引くこともなく、首の後ろを引き上げると、自然と顎は上に引き上げられます。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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