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「五輪書」から学ぶ Part-51
【火之巻】渡をこすと云事

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   【五輪書から】何を学ぶか?  

 『人生』をテーマに、昔から書物や詩、歌に詠まれる事が多いと思います。昔で言えば、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」で始まる方丈記や、最近でもないですが、「人生いろいろ」(島倉千代子)などが思い浮かびます。私は知りませんが、若者が口ずさむ歌にも、きっと「人生」を題材にしたものが沢山あるのでしょう。

 哲学者や偉人と言われていた人達が、束になって懸かっても、この「人生」を解き明かす事は、出来ないのでしょう。

 しかし、哲学者や偉人と言われた人の言葉には、「人生」を全うするためのキッカケやアドバイスを示してくれています。

 功成り名遂げた、家康でさえ「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし急ぐべからず・・・・」と言い、秀吉も露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも夢のまた夢と言い残しています。

 一見豪傑に映る、宮本武蔵でさえ、今回のテーマのように、人生の厳しさを越えて来た、と思える事を書き記しています。

 私も振り返ってみると、波乱万丈の人生であったと思いますが、歳のせいか、それさえも忘れてしまうようです。

1. 火之巻 序
2. 場の次第と云事
3. 三つの先と云事
4. 枕をおさゆると云事
5. 渡を越すと云事
6. 景氣を知ると云事
7. けんをふむと云事
8. くづれを知ると云事
9. 敵になると云事
10. 四手をはなすと云事
11. かげをうごかすと云事
12. 影を抑ゆると云事
13. うつらかすと云事
14. むかづかすると云事
15. おびやかすと云事    
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事
18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
5.  渡を越すと云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
渡をこすと云ハ、縱ば海をわたるに、せとゝいふ所も有、又は、四十里五十里とも長き海をこす所を、渡と云。人間の世をわたるにも、一代のうちにハ、渡をこすと云所多かるべし。舩路にして、其との所を知り、舟の位をしり、日なミを能知りて、たとひ友舩は出さずとも、その時のくらゐをうけ、或はひらきの風にたより、或は追風をもうけ、若、風かはりても、二里三里は、ろかひ*をもつて湊に着と心得て、舩をのりとり、渡を越す所也。其心を得て、人の世を渡るにも、一大事にかけて、渡をこすと思ふ心有べし。兵法、戦のうちに、渡をこす事肝要也。敵の位をうけ、我身の達者をおぼへ、其理をもつてとをこす事、よき船頭の海路を越すと同じ。渡を越てハ、又心安き所也。渡を越といふ事、敵によはミをつけ、我身先になりて、大かたはや勝所也。大小の兵法のうへにも、とをこすと云心、肝要也。能々吟味有べし。(1) 
【リンク】(1)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 5.  渡を越すと云事

 渡を越すと言うのは、例えば海を渡る時に瀬戸と言う所もあるが、約160kmも約250km(40里、50里)もある長い海を越す事もある。これを渡と言う。
 人の世を渡るのも、一生の内には越えて、渡らなければならない事も多いと思う。
 航路においても、その渡る所を知って、船の性能を知り、天候を知って、たとえ、連れだって行く船がなくても、その時の状況に応じ、あるいは、横風によりどころを見つけ、あるいは、追い風も受け、もし風が無くても、約8kmや約12km(2里、3里)は、櫓を漕いで港に着くと思い、船を乗りきる事である。
 その心を持って、人の世を渡る場合にも、大事な時は、渡を越えると思うのが良い。
 兵法においても、戦う最中に、渡を越える事が重要である。敵の態勢を見て、自らの技量を知り、その理(ことわり)を信じて渡を越えることは、よい船頭が海路を越えるのと同じである。
 渡を越えると、心は休まる。渡を越えるという事は、敵の弱みに乗じて、自分が先に概ね勝つ所である。大小の兵法も、渡を越すと言う気持ちが肝心である。よく熟慮する事。

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 『私見』

 少し、昔が使った比喩と、言葉が分りにくいかも知れませんが、簡単に言うと、『人生でも兵法でも、順風満帆に過ぎる事はなく、重大な局面を迎える事もあり、また大きな壁に突き当たる事もあるが、これを解決する対処の仕方によって、良くも悪くもなる。その壁を乗り越えるには、知識や技能も重要な力になるが、最後までやりきる覚悟が大切である。困難を克服した後には、自信も安心感も生まれる。』
 概ね、武蔵が言いたい事はこう言う事ではないでしょうか。

 大工に譬えた時には、分かりやすく書かれていましたが、「渡を越す」と言うのは、少し分かりにくいかも知れません。

 しかし、「渡を越す」「困難を克服する」と読み替えれば、腑に落ちるのではないでしょうか。又は、「峠を越える」と、山登りに譬えた方が、言葉としては解りやすいかも知れません。

 武蔵の時代の船頭さんは、「渡を越す」と言ったかは、定かではありませんし、私には調べる方法が分かりません。「渡る世間は鬼ばかり」と言うテレビ番組がありましたが、これも、「渡る世間に鬼はなし」と言う故事をもじったものでしょう。さて、どちらが身に染みるのでしょうか。

 ただ、「板子一枚、下は地獄」と、船乗りが非常に危険な仕事であることは、今も昔も変わりません。
 なぜ、「渡を越す」と言う言葉が、すんなり頭に入ってこないかと言うと、「海を渡る」は解るのですが、その「渡る」を「越す」と言う事に、引っ掛かりを感じてしまいます。ですから、「越す」を『やりきる』と読み替えて見ます。そうすると、左に掲載した葛飾北斎の絵のように、『荒れた海を渡りきる』と意訳できそうに思います。
 「困難を克服する」、「峠を越える」や「海を渡りきる」でも、読み替えやすい方法で、原文に挑戦してみてはどうでしょうか。 

 「我身の達者をおぼへ、其理をもつてとをこす事」(原文)の部分は、困難を克服する時の精神状態が書かれてあると思いますので、よく理解する必要があると思います。
 「我身の達者をおぼへ」とは、自分自身が今まで修行して身に付けた技能を信じて、と理解しましょう。
 続いて、その「理」(ことわり)ですから、修行で得た理論や法則の事です。
 要約すると、自分が修行した、その流儀の法則と、修行の成果を信じて、困難を克服しなさい。と読み取る事ができます。

 この文章を読んで感じる事は、武蔵も人生の岐路に立たされ、また困難を前にして、逃げ出したいような、気持にもなった事もあったのかも知れないと思います。

 武蔵が寺尾孫之允信正に宛てた書簡に「独行道」がありますが、その中にも自戒とも取れる文言を見る事ができます。決して順風満帆の人生でなかったことは、確かなようです。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html


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