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独行道を読む
【身をあさく思世越ふかく思ふ】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

  『五輪書』でも昔の言葉と、武蔵独特の言葉使いに頭を捻りましたが、ここでも、文学的と表現すれば良いのか、文学自体に造詣が深くないので、身をあさく思世越ふかく思ふにも、言葉の意味を解読するのに苦心しました。

 ちなみに、ここでも、左の変体仮名が使われています。[越]と言う漢字が元になっています。読み方は『身を浅く思い世を深く思う』と読みます。

★下のバーをクリックすると『独行道全文が見えます!

『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 『身をあさく』の『あさく』を「浅く」と漢字にすると、言葉の意味は、文法的には少し違うのかも知れませんが、とりあえず『浅い』を調べて見ます。

 表面から底まで、また入り口から奥までの距離が短い。深さが少ない。
 物事の程度や分量、また、かかわりなどが少ない。
 その状態になってから日数や時間が少ししかたっていない。
 色が薄い。淡い。
 香りが淡い。
 位や家柄が低い。
 情愛がうすい。
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
とあります。

 その後に出てくる『ふかく』を「深く」の漢字を当てはめ、文法的な違いを無視して、『深い』と言う言葉を調べますと、

 表面から底まで、また入り口から奥までの距離が長い。
 物事の程度や分量、また、かかわりなどが多い。
 色合いが濃い。
 密度が濃い。また、密生している。
 かなり時がたっている。また、盛りの時期にある。たけなわである。
 多く「…ぶかい」の形で、名詞、またはそれに準じる語に付いて接尾語的に用いる。
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)

 どちらも、現在の言葉を調べたところ、武蔵の言う言葉の意味では無いように思いました。古文での使い方を調べても、合致するような答えは出ませんでした。

 私は、『身をあさく』と言うのは、自己中心的な考えを否定する、もしくは、自分勝手な考えを抑制する、あるいは、自分を優先的に考えない、と言った意味であろうと思っています。
 したがって、『自分中心に考えることなく、世の中の事を優先する』という事では無いのでしょうか。

 『独行道』としながらも、我道を行くわけではなく、世の中との調和の中でこそ、自分の存在を活かせると、考えていたのではないかと思います。

 これは、私が常に思い、また、 髓心とは
の中でも記述しましたが、人間は「社会的動物」である、と同じ意味では無いかと思います。

 この言葉を書くに至っては、武蔵も、自己と他とのバランスを取る事に苦労する時期があったように、推測します。私も例外なくこの問題に苦労しました。その結果、人は「社会的動物」であるとの結論に至ったのです。

 前にも述べましたが、『独行道』は、人(寺尾孫之丞)に与えたとはいえ、「自誓書」と言われています。自らの生き方の反省から、早い時期に、この事に気がつけば、もっと悩まなく生きる事が出来たのに、と思っていたからこそ、出た言葉だったのではないでしょうか。

 私も、立場上、色々教訓めいた事を言ってしまいますが、それは、自分を振り返ってみて、もっと若い頃に気がつけば良かった、という思いから伝える事が殆どです。 

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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