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論語を読んで見よう
【憲問篇14-36】

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 ようやく、『現代人の論語』を基に読み始めた、『論語を読んで見よう』も、最終回を迎えました。

 実は、かなりストレスが溜まりました。余りにも参考文献との、物の見方、考え方に開きがあるからです。『現代人の論語』で著者呉智英氏は、論語の経学的な読み方、あるいは古典の通俗人生訓を見る読み方を、一貫して批判的な立場で見ているのでしょう。『断片的な章句をお経のように唱える』に代表するような記述がそれを物語っています。

 私には、その詳しい事は分かりませんし、事実、興味もありません。色々な分野で考古学に惹かれる人や、学問的な立場から経典や聖典を解読する事に興味を持つ人、あるいは、武道でも、その技術に惹かれる人もいますし、私のように武道は手段として興味を持ち、その最終目的を心に置く人もいるでしょう。

 色々な分野で色々に考える事が出来るのも、人間の特徴と言えるのかも知れません。パスカルの言う「人間は考える葦」のように。

 ただ、文学や文章を生業なりわいにしている人の、記述の仕方は、まるで凶器を振り回しているように感じる事です。何も呉智英氏に対して抱く感情ではなく、前にも、誰かの文学に対する論評を少し読んだ時に、思った事がありました。
 最近は、テレビのコメンテーターと呼ばれている人の言葉にも、同じように思う事が度々あります。

 このブログでも何度か書いていますが、暴力というものは、身体的な暴力に限らず、言葉によっても、相手に立ち直れない傷を負わせる事を、知識人と言われる、言葉を生業にしている人が、認識しているのか、疑問でなりません。

 確かに、表現の自由の意味は分かりますが、これも公序良俗に反しない限り許されるのです。いや、法律に抵触するから、言葉に注意するのではなく、相手に傷をつけるような言動を慎むのが、人としての在り方だと思うのです。

 身体的な暴力は、非常に分かりやすい現象です。しかし、言葉の暴力は分かりにくい事が原因かも知れませんが、折角知識人と言われるようになった人たちこそ、言葉を大切に扱ってもらいたいと思います。テレビに有識者として出演する人や、本を書く人は特に気を付けてもらいたいと思っています。
 
 世の中は、そんなに強い人ばかりではありません。

 いよいよ最後の文章です。『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳』。
●読み下し文
『或るひといわく、徳を以てうらみにむくいば何如いかん。子のたまわく、何を以てか徳に報いん。ちょくを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ』。【憲問篇14-36】

 現代文にして見ましょう。
 「ある人が言いました。怨みに報いるのに徳をもってしたら、いかがか。孔子は、それでは何で徳に報いるのか。怨みには正しさを、徳には徳をもって報いよ」と言う孔子の解答です。

 「怨みに対しては、徳で包み込むのが良いですか。と聞かれて、孔子は、では徳に対しては、どう対処すれば良いのでしょう。私は、怨みには公正な対処を。そして徳には徳でその言動に報いるのが良いと思います。」意訳するとこう言う文になると思います。

 要するのに、怨みと言うのは、東京弁で言えば「勘弁ならねぇ!」と言う気持ちでしょう。人から怨まれている分けではないでしょう。
 仮に相手に怨まれているなら、誤解かも知れません、それとも、本当に自分が原因で、相手に怨みを買ったのかも知れません。そんな時は、その根本を解決すれば良い事です。例えば、言い訳をして相手に分ってもらうとか、もし自分が悪いのであれば、謝るとか、方法は見つかると思います。コミュニケーション力が問われます。

 ここでは、自分が人に対して「勘弁ならねぇ!」と思っている事を、「徳」で、すなわち人格のある者として、許してやれば良い、あるいは、度量の大きさで、無かったことにしてしまう。と言う方法もあると思います。

 しかし、孔子は、「勘弁ならねぇ!」と思ったら、世の中の尺度に合わせて、裁けば良いとの判断をしています。

 ここで、矛盾に感じる人もいると思います。 【子路篇13-18】には、「勘弁ならねぇ!」と言っている権力者が密告者に対して「でかした。よく言った。」と言っているのに対して、公正な裁きではなく、如何にも儒教的な親子の情こそが、正しい行いであると言っています。

 この判断は、時代の背景が必ず大きな役割を果たしますので、現在のような法治国家では、難しいのですが、「勘弁ならねぇ!」の度合いにより、斟酌しんしゃくすべきではないでしょうか。今はやりの忖度そんたくとは少し違いますが。情状酌量により判断されるのでしょう。

 日本でもアメリカを基準に、何でも裁判にされる風土になりつつありますが、日本の今までの風土、「無かったことにする」と言うのも、場合により良い事もあるのかとも思っています。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.
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