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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【4】

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 今日の一文字は『情』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 男女 恋歌

 相変わらず、猛暑が続いています。少しは、涼しくならないですかね。今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第三段 〔原文〕

よろづにいみじくとも、色好まざらん男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。

露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

 
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『現代文』

 まず、現代文にしてみましょう。

 『たとえ万事に優れているとしても、色恋が分からない男は、何か物足りない、立派な杯の底が抜てけているようなものである。

 露や霜でびしょびしょになり、居場所も定まらずに迷い歩き、親が諫めても、世の中から罵倒されても意に介さず、妄想に憑りつかれ、だからといってもてるかというと、独り寝がちに眠りにもつけず、誠にこっけいである。

 そうはいっても、ひたすら色恋にうつつをぬかしているのではなく、女性から見れば、おいそれと攻略できないように見えるのが望ましい。』

 

男女

 人間は、男と女しかいませんから、当然男性が女性を好み、女性が男性を想う。その歴史は遠い昔から繰り返されてきました。

 最近は、Xジェンダーと言われる男女どちらとも言えない人々がいる事が分かってきて、市民権を得る時代になってきましたが、戦国時代でも、このような事は、あったようです。

 しかし、百人一首の半分に近い和歌は、恋歌であると言いますし、男女の人を思う気持ちが、文学となり、果ては戦争の発端になることもしばしばあると聞きます。

 現代でも、若者の間で人気のある歌は分かりませんが、昭和の歌謡曲の多くは、人を想い悩む歌が多かったと思っています。それだけ、共感できる人が多いと言う事でしょう。もしくは、憧れなのかも知れません。

 空手などを趣味としていると、無粋と思われがちですが、意外とロマンチストな人もいますし、逆に色恋に長けている人に情がない人もいます。

 兼好いわく、攻略できそうにない男こそ望ましいと言われると、何だか、戦略的な駆け引きに見えて、興ざめしてしまいます。

 趣味でも、恋愛でも、一生懸命の方が、私には望ましいと思ってしまいます。

 男と女の駆け引きに縁がありませんが、もし恋をするなら、そんな駆け引きはできないでしょう。その歳で、その頭で、恋を!?、考えるな、って声がするようですが。

 

『恋歌』

 ちなみに、私は百人一首はまだ研究していませんが、昭和の歌謡曲にも、心惹かれるフレーズがあります。

 石原裕次郎さんの「北の旅人」という歌を知っていますか。

 歌詞の三番に、「空でちぎれるあの汽笛さえ、泣いて別れるさいはて港」というのがあります。

 言葉の選び方が凄いと思っています。

 惜別の歌も心に残っています。中学生の時によく歌っていました。

 「遠き別れに たえかねて この高殿に 登るかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣を ととのえよ

 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな

 君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの 黒髪も またいつか見ん この別れ」

 私が覚えているのは、この三番までですが、四番まであるようです。
 
 作詞が島崎藤村となっています。この歌を歌うと、中学生の頃にふと戻ります。

 その頃は、小林旭さんが歌っていました。高音でなんとも哀愁のある歌声だったように記憶しています。

 言葉によって人の心を動かし、心に残る言葉を生み出す事が文学かも知れません。まだまだ、文学は分かりませんが、そんな気がしています。

 誰もが、こんな思い出の歌を持っているのかも知れません。

  兼好が言うように、どんなに才能に長け頭が良くても、恋慕の情が解らないのは、まるで底の抜けた盃のようなのかも知れません。 

 人である以上、人を想い人に恋し、時には狂おしいまでの思いも経験した方が、人間としての幅が増すのかも知れません。

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