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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【8】

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 今日の一文字は『限』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第七段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 大阪では珍しく、台風12号が真上を通ったようです。朝4時ごろにそれまで、雨風が凄かったのですが、無風状態になりました。

 現在岡山と広島の県境のようですが、みなさん気を付けて下さい。
 
 今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第七段 〔原文〕

あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年を過すとも一夜の夢の心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の陽に子孫を愛して、栄ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。今回は現代文と言うよりも意訳に近い読み解きですし、私見も交えています。

 『あだし野(風葬の地)、鳥辺山(火葬の地)で、露とは、豊臣秀吉の辞世の句「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」の露です。そして、「烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、」は、「煙がたち続けるように、永遠に生き続けるなら」と、引き合いに出しているものです。

 しかし、現在の引用の仕方と、少し違うと思いますので、俄かに理解し難い文章になっています。

 風葬の地で露と消えていく事はずっと続いています。そして、火葬の地でも煙が絶える事がありません。この事と人間が永遠に生き続ける事を対比させているのですが、これには、矛盾を感じずにはいられません。

 揚げ足取りと言われるかも知れませんし、屁理屈かも知れませんが、人間が次から次から死んで行くのに、どうして永遠に生きる事ができるのでしょう。

 普通は、人が死ぬ事は絶える事がないのと、同じように人が永遠に生きれば、と対比させるよりも、例えば、これも永遠では無いとは思いますが、太陽が毎日東から登り、西に沈んでいくように、永遠に人間が生きるとしたら。と言う方が、分かりやすいと思います。

 それはさておいて、兼好が、言いたいことは、 人は限りある人生であるから、深遠な趣がある。良いのだと言っているのでしょう。

 人ほど長生きのものはいない。蜻蛉かげろう(トンボ)のように朝生まれ夕べに死ぬもの、あるいは蝉のように春秋を知らない生き物もいる。

 しみじみと一年を暮らすだけでも、この上なく長く感じるものである。

 この一年に満足せず、いつまでも生きたいと思うのであれば、たとえ千年生きたとしても、一夜の夢のように感じるものである。

 永遠に生きる事ができない世の中で、老いさらばえて何をしようというのか。

 『命長ければ辱多じおおし』(荘子)とも言っている。長くても、せいぜい四十前に死ぬのが無難である。 

 それ以上生きると、恥も外聞も無くなり、人前に哀れな姿をさらして、世に交わろうとするだろう。

 余命も少なくなると、子孫のことが気にかかり、栄える将来まで長生きしたくなってくる。

 なにもせずぶらぶら過ごそうと思い、しみじみとした味のある世界も分からなくなってしまう。あさましい事である。』

 

『命』

 言い方はともかく、内容については、同感です。

 現在100歳の人生と言われていますが、私が若い頃は、人生50年と言われていました。

  「人間じんかん五十年下天げてんの内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」 (幸若舞「敦盛」の一節。)は、映画やドラマでは、織田信長が本能寺で焼き討ちに合い、この謡曲で舞う姿が有名だと思います。

 私の若い頃は、その前に戦争があり、若くして亡くなった人が多かったから、平均寿命も短かったのでしょう。

 会社でも、定年が50歳から55歳、60歳と伸び、今では65歳の会社が多いのかも知れません。

 40歳前と言うのは、少し早いように思いますが、もし、人生が40年だとすれば、もっと充実した人生を想像する事もできます。

 どこかで聞いた言葉で、 「生まれた時に、死ぬことを宣告され、死刑執行の日が定められていないのが人生である。」 と言うのがあったと思います。

 誰が言ったのか失念しました。聞いた時に、上手い事言うなあ、と思った事だけ記憶しています。

 最近は、同年代の人が亡くなる事が、随分多くなりました。しかし、何となくですが、人には寿命があるように思っています。ですから、死は必ずやってくるのですが、それまでは、元気でいたいと、日々身体と頭を動かすようにしています。頭を振っている分けではないですよ。 

 まったく話が変わりますが、最近、頭、確かに振っていました。時々、部屋がぐるんぐるん回る事がありました。

 そこで、自己診断した結果、耳石が原因と勝手に思い、それで頭を左右に振る事にしました。で、解決した模様です。

 話を元に戻しましょう。

 人は考える事ができます。あまり自分の考えに固執するのも、考えものですし、それが年老いて固執していると、頑迷がんめいになります。まさに、兼好や荘子が言うような、恥知らずの老人になってしまう事でしょう。

 しかし、考える事で解決する事もあります。それは「死」に対しての考え方をしっかりともつ事だと思っています。

 分らない事、理解出来ない事を、そのままに出来る能力を人間は持っていると前回に書きましたが、やはり、人によっては、腑に落ちない事で不安な気持ちや、恐怖を抱いたりするのだと思います。

 「死」に直面した人は、人生を謳歌していると思います。何か幹がしっかりしている人に見えます。自信が湧き出るのでしょうか。覚悟がしっかり出来ているように思えます。

 直面しないまでも、「死」について考える事も必要だと思います。もちろん、病気にならない程度に。

 

『恥』

 日本は、『恥の文化』と言われた時代がありました。それもあまり遠くない過去にです。

 【アメリカの文化人類学者 R.ベネディクトが『菊と刀』 The Chrysanthemum and the Sword (1946) のなかで使った用語。他者の内的感情やおもわくと自己の体面とを重視する行動様式によって特徴づけられる文化をいう。彼女はこの「恥の文化」に対立する文化として,内面的な罪意識を重視する行動様式としての「罪の文化」をあげ,後者が西欧文化の典型であるのに対し,前者を日本人特有の文化体系と考える。すなわち,日本人の行動様式は,恥をかかないとか,恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が内面化されていて,この行動様式が日本人の文化を特色づけているとする。】(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 このような文化が根付いていた時代、吉田兼好にしてみれば、当時からこの文化を守ろうとする意志が働いていたのかも知れません。

 ですから、醜態をさらして、恥をかいてまで長生きを望まなかったのでしょう。しかし、本人の思いとは裏腹に、彼は、通説では70歳前後まで生きながらえています。

 しかも、30歳前後で出家したとされていますので、出家後40年もの長きに渡って、あれこれ考えながら生きたのですから、ストレスも大変なものだったでしょう。それとも、法師ですから、悟りの道に到達したのかも知れません。

 私はこのブログで『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』( 「聞くは一時の恥」)と書きました。

 恥の大切さを強調したのですが、近頃は『恥』を『恥とも思わない』傾向にあります。

 これは、日本の文化が、西洋の文化に駆逐されたとしか思えません。アメリカナイズと言う言葉は、私の育った時代では、良い意味でも、悪い意味でも使われて来ました。

 『恥』とは違いますが、『粋』と言う言葉も死語になったのかも知れません。

 格好の良い事、自慢すべきことは、隠れてしてこそ『粋』であると言う文化は、決して江戸っ子だけのものではなく、日本の文化のように思っています。『恥じらい』や『たおやか』、あるいは、『び』『び』など、日本を表す言葉も、どんどん衰退しているように思います。

 このような事を書いていると、昔の歌を思い出します。

 与謝野鉄幹の作詞で、 「人を恋うる歌」 です。第三高等学校寮歌とありますから、京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身とされている、「三高」です。

1 妻をめとらば 才たけて みめうるわしく 情けある
  友を選ばば 書を読みて りく分の侠気 四分の熱

2 恋のいのちを たずぬれば 名を惜しむかな の子ゆえ
  友の情けを たずぬれば 義のあるところ 火をも踏む

3 ああわれダンテの 奇才なく バイロン ハイネの 熱なきも
  石をいだきて 野にうたう 芭蕉のさびを よろこばず

 この時代(明治初期から昭和の初期)でも、浪漫主義文学運動を妻与謝野晶子と共に推進した人ですから、当然とは思いますが、『芭蕉のさびを よろこばず』と言っています。

 しかし、『芭蕉のさびを よろこばず』と歌っている人でさえ、一番二番の歌詞には、日本人が受け継いできた文化を継承した人柄を高く評価していると感じます。

 今は確かに個人主義になっていますが、日本の文化は、縄文土器に見られるように『人の再生』すなわち人類主義であったように思います。

 そして、長い間、『家』『門』と言うものを守ってきました。確かに、それが行き過ぎて『国家主義』から『軍国主義』に道を踏み外したのかも知れません。

 『過ぎたるは猶及ばざるが如し』も、何度もこのブログで取り上げました。しかし、日本の文化の良い所は残し、悪い部分は排除して、新しい日本人に向いた、『粋』な文化を形成する時期が来たのではないでしょうか。

 武道を志す者、この日本で培われた、文化の奥ゆかしさを忘れないようにしたいものです。

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