今日の一文字は『神』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二十四段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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神社
雅
九州の方では、台風15号が通過中、16号17号も相次いでいる模様です。今日は、昼頃に雨が降る予想ですが、気温はさほどでもなさそうですが、湿度があるので、ジトっとしてますね。
一応明日までお盆と言う事ですが、帰省ラッシュで大変でしょうね。昭和42年ごろは、大阪駅では駅員がお客さんを抱きかかえて、窓から乗車させている写真をみました。
大阪駅前にサーカスのようなテントを張っていたと、昨日のニュースで見ました。40年前らしいですが、確かに大阪の町は、今でもお盆の間は閑散としています。しかし、40年前は大阪にいましたが、まったく覚えがありません。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二十四段 〔原文〕
斎王の野宮におはしますありさまこそ、やさしく面白き事のかぎりとは覚えしか。「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙そめがみ 」など言ふなるもをかし。
すべて神の社こそ、捨てがたく、なまめかしきものなれや。ものふりたる森の気色(けしき)もただならぬに、玉垣しわたして、榊にゆふかけたるなど、いみじからぬかは。ことにをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布祢・吉田・大原野・松尾まつのお ・梅宮うめのみや
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『斎王が野宮にいらっしゃる様子は、優雅で趣深い典型と思う。「経」「仏」など仏教に関係した言葉を避けて「なかご」「染紙」などと言うのも趣深い。
大体神社こそ、捨てがたく、優雅なものである。古めかしい森の様子もいわくありげで、垣根で囲い、榊に木綿をかけていることも、この上なくすばらしい。
ことに趣深いのは、伊勢神宮・賀茂神社・春日大社・平野神社・住吉神宮・三輪大社・貴船神社・吉田神社・大原野神社・松尾神社・梅宮神社。』
斎王:伊勢神宮や賀茂神社の祭祀さいし に奉仕した未婚の内親王または女王。一般には伊勢神宮の斎宮を指すことが多く、賀茂神社のほうは斎院と呼ばれる。天皇の即位時に卜定ぼくじよう され、その天皇一代の間つとめるのを原則とした。いつきのみこ。(出典:大辞林第三版 三省堂.)
野宮:皇女や女王が斎宮・斎院になるとき、潔斎のため1年間こもった仮の宮殿。斎宮のものは嵯峨、斎院のものは紫野に設けた。(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
『神社』
〔縁〕
神社仏閣には、随分昔から縁があります。日本空手道髓心会が初めて誕生した時の名前は、八剣会です。それは、八剣神社の境内を借りて練習を始めたからです。
境内ですから、屋根がありません。雨の日は休みになります。しかも、当時は朝練習でした。
会員は空手の練習が済んでから、学校に通っていましたし、私も時計屋をしていましたので、練習が終わって帰るとシャッターを開けて、仕事が始まりました。
私の結婚は、警察関係者が仲人をしてくれました。いわゆる頼まれ仲人です。その仲人の人の紹介で、現在の場所に移りました。
若宮八幡大神宮です。それからずっとお世話になっています。私は既に一線を引いていますが、私がやっていた時期よりも永く今の道場長礒田正典師範が道場を引き継いでいます。
また、会社に在籍していた頃には、仕事の関係で「春日大社」には御縁がありました。
ですから、一般の人よりも神社の建物や、置いてある物に接する機会は多かったと思います。
〔維持〕
神社を維持管理していくにも、お金がかかります。大変だと思います。なかなか、「優雅」と言う分けにはいかないのが現実だと思います。
表から見る風景と、中から見る様子には、随分と隔たりがあります。裏表という事で納得してはいけないのかも知れません。
内容は兎も角として、ここに挙げらている神社には、相当の歴史もあり、戦国時代や戦争、あるいは自然災害、また人災もあったかも知れません。それを乗り越えて、今の姿があり、年間を通じて行事を執り行われている事に、敬意を表さずにはいられません。
〔事件〕
ただ、まだ記憶にある富岡八幡宮などの事件をみると、宮司の在り方も見直さなければならないのかも知れません。でなければ、折角歴史を重ねて現存する意味が消失してしまうのではないでしょうか。
「神」と言うのは、よく分かりませんが、少なくとも人類が太古の昔より崇拝の対象にして来たことには間違いはないところです。
であれば、その神にお仕えする人達は、立派な人であって欲しいと思うのは、違うのでしょうか。
『雅』
「雅」と言う言葉は、前回「宮廷風であること。上品で優美なこと。また、そのさま。風雅。風流。」(出典 :大辞林第三版 三省堂.)である事が解りました。
原文の初めに「「経」「仏」など忌みて」とあります。
〔神仏分離〕
日本の国は、西暦501年から600年に仏教が伝来したとされています。伝来があって後、200年程の期間を経て奈良時代から、「日本古来の神」と、「仏」をいい加減に混ぜた信仰、「神仏習合」が始まって、以後「神仏」は同等に扱われてきたように思います。
しかし、明治時代になってから、「神仏分離令」により神と仏を区分し、 廃仏毀釈と言う、仏像や仏閣を壊す事にもなったようです。
兼好が生きた時代は、西暦1283年ごろから西暦1350年ごろですから、「神仏習合」が始まって、すでに500年程経っています。民衆自体は、「神仏」を混ぜ合わせた信仰であったのでしょう。
今でも「神も仏もあるものか」とか言いますね。
しかし、この文から見ますと、神社を支える人たちは、「神」と「仏」をしつかり分けていたのかも知れません。
ですから、仏教に伝わる「経」や「仏」と区別して、祭事を執り行っていたのでしょう。
まだ、『雅』であるとか、『風情』や『典雅』、あるいは『優雅』と言う事を語るには、十分な知識も教養も、そして生活もありません。
しかし、先述しましたように、神社や宮司さんとの関りはあります。
〔品位〕
人に対しては色々な人がいますので、評価は避けたいのですが、立ち振る舞いには、それなりの品位を感じる事があります。
よく、育ちが良いとかいう、『あれ』です。残念ながら育ちが良い分、社会的にこなれていない、未熟さを醸し出している場合もあります。もう少し、ストレートに言いたいのですが、ストレートに言ってしまうと、品がなくなりますので、この辺にしておきましょう。
なぜ、こんな事を書いているかと言いますと、『雅』は、確かに品格も上品さもあるのですが、それを表現する立場の人が『雅』でない場合が多いと思っています。
いくら建物や調度品が『雅』であっても、これでは値打を下げてしまいます。その建物な調度品に見合った、人達が必要だと思います。
前に現皇后陛下の品格について書きましたが、まさに『品』そのものでした。皇后陛下の育たれた正田家については、色々な事が言われているようですが、私はそれよりも、ご本人の立ち振る舞いに『雅』さを感じています。
過去には聖職と言われた先生たち、医は仁術と言われたお医者さんなどもそうですが、富岡八幡宮などの事件は、特殊なものだと思わせる、人達であってほしいと願っています。
でなければ、日本語の『雅』と言う言葉が、広辞苑から消える日がいつか来るかも知れません。