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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【49】

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 今日の一文字は『仕来』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第四十八段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 仕来り

 
 今日もまだ、北海道では地震の被害者の、捜索が続いているようです。震度7と言うのは、本当に凄い爪痕を残します。

 一方台風の被害もまだまだ回復の見通しが立ちません。

 関西空港の連絡橋道路は、復興とは言えませんが、よく通れるようにしたものだと、感心しました。なるほどと言うアイデアが浮かんだものです。それにしても、未だに電車の線路は水に浸かったままです。

 格安航空会社で有名なピーチも頑張りましたね。こういう話題を聞くと、日本の企業も捨てたものではないと、思います。

 自由民主党の総裁選挙の公示日を、ずらすような事を提案している人もいるようです。マスコミも権力者への批判も結構ですが、時と場合によります。ずらして、また災害がおこり、そしてまた後に回す。そんな時にも、公示日をずらす事に賛成するのでしょうか。なんとも、お粗末なコメンテーターだと思いました。

 石破茂氏も折角地方の人気が高いのに、災害があれば、如何に主要のポストについていないからと言っても、そういう提案をしていれば、総理大臣の器とは思えません。まず、国民の為に知恵を出してこその国会議員だと思いました。残念です。
 
 またまた、愚痴がでてしまいました。気を取り直してブログの更新をして、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第四十八段 〔原文〕

 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされて食はせられけり。さて食ひ散らしたる衝重ついがさねを、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やんごとなき事なり」とかへすがえす感ぜさせ給ひけるとぞ。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『  光親が院の最勝講の奉行としてお仕えしていた時、御前に呼び、食事を出して食べさせた。
  さて、食事が終わり、食べ終わった食器をのせてある膳を、上皇のいらっしゃる御簾の中に差し入れて、退出した。
 女官は「なんて汚い。誰に片付けろと言うのか」と言い合っていたが、上皇は「物知りの行動である。よんどころない事である。」と返す返す感心された。』

 

『仕来り』

 仕来しきたりや、風習は、それが行われてる環境でこそ役に立つ知識です。そして、時代が変わると、その仕来しきたりや風習も変わってきます。

 この段を読んで、偉い人が、流石知識人と称賛しても、周りの人が訳の分からない知識では、素晴らしいとは思えません。

 ただ、残念ながら、 評価を下すのは、権力者ですから、それは、今も昔も変わらない所です。

 それにしても、食べた後の食器類を乗せてある御膳だと思いますが、御簾の中に差し入れる事が、仕来しきたりだとしたら、どう意味か、気になる所です。

 この段でも、疑問に感じる所があります。

 一つは、光親卿なる人物ですが、藤原光親ふじわらのみつちか又は、葉室光親とも言われる、鎌倉時代の公卿くぎょうです。ちなみに公卿くぎょうとは、

(1)〔中国の三公九卿から〕 「公」と「卿けい」の総称。公は太政大臣、左・右大臣、卿は大・中納言、三位以上の朝官および参議。上達部かんだちめ。月卿。卿相。くげ。こうけい。 〔「大臣公卿」という場合は、「卿」に同じ〕
(2)(「供饗」「公饗」とも書く)公卿に供する膳。漆塗りでなく、白木であった。木具きぐ
(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 であれば、「食ひ散らしたる衝重ついがさねを」と原文にありますが、相当の有識者であり、礼儀も弁えた人物であろうと、推測されます。

 如何に鳥羽上皇のお気に入りの臣下と、言えども、この位までの間に、相当の礼儀は身に付けていると思われます。しかも、天皇の執事をしていたこともその経歴に見られます。

 そんな人が、「食ひ散らしたる衝重ついがさねを」とあるような不作法な食事の仕方をするものとは思えません。

 しかも、その食事に招いたのが、「御前に呼び」とありますから、いかに「さぶらひ」すなわち、身分の高い人のそばに仕えて雑用をする者であったとしても、その身分の高い人から、食事に招かれていますから、相当に気を使って食事をしたと思われます。

 にもかかわらず、「食ひ散らしたる衝重ついがさねを」とあるような、食い散らし方をなぜしたのか、私には想像できない事です。

 この時代でも、食い散らすような食べ方を、戒めている文献もあります。ですから、光親卿の職位から見ても、食べ方自体に真実味がありません。

 もう一点、上皇のいらっしゃる「御簾の中へさし入れて、などと言った事が、まず、可能かどうかに、疑問を感じます。

 当然、女官は「あな汚な。誰に取れとてか」と言うのも分かります。

 光親卿も、要職にありながら、そんな不作法な真似をしたとは思えません。

〔緊急事態〕

 であれば、考えられるのは、のっぴきならない用事が出来た事でしょうか。

 「有職のふるまひ、やんごとなき事なり」「やんごとなき事」を古語辞典で調べますと、

 (1) よんどころない。打ち捨てておけない。
 (2) 格別に大切だ。特別だ。この上ない。並たいていでない。
 (3) 高貴だ。尊ぶべきだ。重々しい。
 (出典:学研全訳古語辞典 学研.)

 私は、(1)の意味を採りました。「よんどころない」とは、他にしようがない。と言う意味で使います。

 ですから、光親卿は、上皇の前であっても、食事を途中にして席を外さなければならない、用事が出来たのでしょう。

 であれば、女官達から非難を浴びる事も、上皇からお叱りを受ける事も覚悟した上で、退席したものと思われます。

 上皇もその事が分かり、「有識のふるまひ」と合点の行くところがあったのだと思います。

 御簾の中には、上皇がおられたと思います。ですから、のっぴきならない出来事を知らせるために、御簾の中に、食べ残したお膳を差し入れたのかも知れません。この事については、想像しかねますが。

 どこかに書かれてあったか、記憶にありませんが、お膳を片付ける人がいない場合は、元に戻す、と書いてあったように思います。

 その元に、と言うのが、食事を提供してもらった上皇と言うのは、余りにも飛躍が過ぎると思いますが、当時はそんな仕来りだったのかも知れません。

 それでも、御簾の中に上皇がいらっしゃるのに、私なら食べ残しのお膳を、差し入れる事はできないでしょう。

 席を外して、退室した所までは、何とか理解出来ない事はありません。しかし、最後の、お膳を御簾の中に入れ戻す事は、想像できませんでした。

 いずれにしても、現在の我々の生活からは、色々な面で、程遠い出来事で、想像すら出来ませんでした。

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