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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【88】

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 今日の文字は『しゅ』です。おさけです。書体は行書ですが少し普通の行書より変化があります。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第八十七段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

★ 『倒産スーパー社長の独白、地方都市「自壊」のリアル』
(週刊ダイヤモンド編集部 2018/10/17 06:00)

『安倍政権が「地方創生」を掲げて久しいが、国が主導して地方の問題が解決するわけではない。とはいえ、地方の人々が自ら声を上げ、立ち上がっても、やはり抵抗を受ける。昨年末に倒産の憂き目を見た山梨県の食品スーパー社長が、自身の奮闘むなしく地方都市が“自壊”する様を語った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 岡田 悟)』

 この記事は、倒産した会社の奮闘が書かれてあり、いかにも地域社会の救世主だったような書き方をしています。

 そしてこの会社は善であり、商店や大型スーパーは悪と決めつけた記事に思えました。

 私は、資本主義社会の歪だと思っています。資本が大きい所が、企業努力をすれば、小さな資本の商店や中小、零細企業を駆逐していくのは、競争の原理からすれば、ごくごく当たり前の事だと思います。

 国が何か出来るかと言うと、社会主義ではありませんから、国の政策は矛盾すると思います。日本が社会主義的と、たとえ言われたとしても、資本主義国である事に違いはありません。

 では、社会主義の国は、と言うと、より格差が広がり、国の主要な要職につけば、資本主義国以上に私腹を肥やすようになるのが現状です。

 冒頭に、企業努力と書きましたが、企業努力は何も慈善事業をしている分けではありません。自分の会社の存続を推進するための努力です。

 何か消費者の為にやっていると、誤解を生むような言葉ですが、それも企業にとっては『善』なのです。存続しなければ社員が路頭に迷うのは、この記事のスーパーだけではありません。

 どこかで、共産主義や社会主義、あるいは資本主義を越えた思想、人間にとってもう少しベターな経済行為ができる思想が現れても良い頃だと思うのですが。

 そう考えて、すでに40年以上になりますが、賢い人が現れるのを、ただ待つだけの能力の無さを痛感しても、現状に甘んじるしか能がありません。

 今日もまた老人の戯言たわごとでした。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第八十七段 〔原文〕

 下部しもべに酒のまする事は心すべき事なり。

 宇治に住みけるおのこ、京に具覺坊とてなまめきたる遁世の僧を、小舅こじゅうとなりければ、常に申し睦びけり。ある時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなる程なり。口つきのおのこに、まづ一度せさせよ」とて、酒を出したれば、さしうけさしうけ、よゝと飮みぬ。太刀うちきて、かひがひしげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡の程にて、奈良法師の兵士ひょうじあまた具して逢ひたるに、この男立ちむかひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止まり候へ」と言ひて、太刀をひき拔きければ、人も皆太刀抜き、矢矧やはげなどしけるを、具覺坊手をすりて、「現心うつしごゝろなく醉ひたるものに候ふ。げて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名つかまつらんとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落しつ。さて、「山賊やまだちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負はせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。浅ましくて、男ども數多あまた走らかしたれば、具覺坊は、梔原くちなしばらにによひ伏したるを、求め出でてきもて來つ。辛き命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはに成りにけり。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『部下に酒を飲ませる時は注意する必要がある。

 宇治に住む男性は、京都で優雅に世俗を離れて暮らす、小姑の具覚房と日ごろから親しくしていた。

 あるとき、迎えに馬を遣ると「先は長い。馬を引く男に、取りあえず一杯飲ませてあげなさい」と酒を勧めた。馬を引く男は、差し出されるままに何杯もぐいぐいと飲み干した。
 太刀を腰に差し、力強く勇しい様子が頼もしく思えて、連れて行ったが、木幡の辺りで、奈良の法師が大勢の兵士を連れているところに出くわした。
 この男が立ちはだかり、「日が暮れた山中に怪しい。止まれ」と言い太刀を抜けば、兵士も太刀を抜き、矢を射る用意をした。
 具覚房が手を合わせて「酔っぱらって正気じゃないので、是非許して下さい」と言うと、兵士達は嘲って立ち去った。
 酔っぱらいの男は具覚房に「御坊は口惜しい事をした。自分は酔ってはいない。手柄を立てようと思ったのに、抜いた太刀のやり場に困る」と太刀を振り回し、馬から落とした。
 そこで具覚房「山賊だ」と大きな声で叫んだところ、里人が多人数でくり出てきたところ、「我こそが山賊だ」と暴れ、斬りまくるのを、大勢でその男に傷を負わせて抑えつけ、縛り上げた。
 馬は血が付いたまま、宇治の大路の家に走り帰った。驚いて部下を大勢走らせ駆けつけさせた。
 具覚房は、くちなしの原っぱで、呻いて倒れているのを探し出し、皆で担いで帰って来た。かろうじて命は助かったが、腰を斬られて不具になってしまった。』

 

 

『酒』

 酒は禍の元と言いますが、この馬を引く男は本当はどちらだったのでしょうか。酒豪だったのか、それとも酔っぱらって自分を無くしていたのでしょうか。

 本人は酔っぱらっていないと言っていますが、であれば、主人の客である具覚房に斬りかかったりはしないでしょうし、まして、自分で「山賊だ」とは、言わないと思います。

 それにしても、お酒を飲んで、前後不覚になる事があるのですね。私は、お酒は弱いので、最近は全く口にしません。

 ただ、若い頃は、誘われるまま飲む事もありましたし、度を越して何度も失敗はありました。

 特に不動産業の営業をしていた頃は、毎日家に帰るのが終電で、場合によっては都内で宿泊した事も、何度もありました。

 「前後不覚になる事があるのですね。」と他人ごとのように書きましたが、帰宅途中、総武線の電車の中で、耳元で大きな音がして、目を開けると、人が回りに立っていた事がありました。
 
 電車の中のパイプの柱につかまったまま、寝てしまったのですね。大きな音は、自分が倒れた音でした。

 60歳を過ぎても、ゴルフ場からお客様を乗せて、大阪に着いてから、一緒に飲みに行ったときも、飲み屋さんのトイレの前で扉に頭を打ち付けて、倒れた事がありました。

 お酒に弱いと言う事は、学生の頃からよく知っているのですが、接待となるとそうは言ってられないので、うまく飲む方法を知っていないとだめですね。今頃気が付いても後の祭りですが。

 学生の頃は、急性アルコール中毒になって、全身蕁麻疹に悩まされた事もありました。それから何度もつらい思いをしているのですが、気が付くのが遅すぎました。

 人のせいにしてはいけませんが、 私の友人は、酒豪の人が多かったのが良くなかったのかも知れません。

 学生の頃は、仙台の友人が大変な酒豪でした。ビールを5,6本開けて、ウイスキーを1本、仕上げに自分で持ってきた日本酒を一升飲んでから、100メートル競走をした事がありました。私はそんなに飲んでいないのですが、走った後、友達は私を介抱していました。

 彼と二人でよく飲みに行きましたが、いつも一合徳利を30本は並べていました。

 不動産業の時に同業者の友達がいたのですが、彼もよく飲みました。毎日晩酌に、取っ手の付いたウイスキーを凍らせて一本飲むと言っていましたが、確かに外で飲むときは、そうだろうなと思う位飲んでも、まったく変わらない人でした。

 と、ここまで書いて、この徒然草は、何を言いたいのか、疑問が湧いてきました。

 ただただ、酒の上の失態を言いたかったのか、それとも、初めに書かれてある。下部しもべに酒のまする事は心すべき事なり。」と部下にお酒を勧めるのも、ほどほどにしておかないと、こんな辛酸をなめる事になるかも知れないと警鐘をならしたかったのか。
 
 それでも、酒の上の非礼では、すまない出来事です。

 酒の上の喧嘩なら、考えられますし、私の友人もビール瓶で頭を割られて入院していた事もありました。

 兎角酒は人を常人とは言い難い状態にしてしまいます。そして、周りの人は、意外と酒を飲んで非礼であったり、暴力をふるう人に対して寛容だと思った事が何度かあります。

 こんな酒の上の事を書きたかったのか、それとも、当時「奈良法師」と言われた、奈良の東大寺や興福寺などの大寺に所属する僧の存在を、延暦寺の「山法師」、三井寺の「寺法師」とともに僧兵の一大勢力を紹介したかったのか、ここでも、疑問が残る第87段でした。 

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