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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【105】

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 今日の文字は『はく』です。外泊がいはくくはくです。まるとも言います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百四段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
★朝日放送テレビ番組CAST
(PM4:54~)
 メインキャスターが上田剛彦さんに変わってから、少し見るようになりました。前は余りにも、局の意向が強すぎるように感じていたのですが、この人に変わってから、公平な番組に変わったように思いました。キャラクターのせいかも知れませんが。

 昨日は、フリージャーナリスト安田純平さんの「自己責任問題」をテーマに話されていましたが、その中で気になった言葉がありましたので、ここに書きたいと思います。

 ジャーナリスト青木理さんは、いつも拝見していると、一見知的な有識者というイメージですが、発言に時々引っかかります。
 ABCテレビコメンテーターの木原善隆さんに至っては、いつも引っかかっています。

 この青木理さんが、今までにジャーナリストの在り方を伝えてこなかった自分たちにも責任があるのですが、と言われたのですが、この部分はまさに、ジャーナリストとは何かが、世間一般、私も含めてよく理解出来ない所です。

 しかし、この中で、国が報じる部分だけでは、情報が偏ってしまうので、戦争の実情を伝えたい、と言い、自分は行きたい、と言われていました。使命感でしょう。

 これは、個人の大義だと思います。これが、正しい行いと言われると、俄かには賛成できません。

 大本営の時代ならともかく、現在国が情報を操作していると思うなら、その事を暴くのが、現在のジャーナリストに求められている、本分ではないかと、思います。

 誰もが、戦争の現状を知りたいと思っている分けではありません。確かに、戦後70年以上も経ちますと、戦争の悲惨さは伝えていく必要を感じますが、すこし真面まともな感性を持ち合わせているなら、戦争の悲惨さだけではなく、その人間として悖るような行為を平気でしてしまう戦争を心から憎むと思い、二度と戦争の起こらない世の中にしようと思うと思います。

 物事には一見正しいと思われる事も、功罪両面を持つものだと思っています。ある人に取っては都合の良い事でも、ある人に取っては都合の悪い場合もあります。

 企業でも正しい事をやっていると思うから、存続しようと努力しているのかも知れませんが、行き過ぎるとただ企業の存続だけが先走りしてしまいます。

 ジャーナリズムも行き過ぎないよう、自分たちで自浄努力が出来るような仕組みを作ってほしいと思います。人間が作り出したものには、完璧と言うものは存在しないと思った方が良さそうだと思うのですが。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百四段 〔原文〕

 荒れたる宿の、人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれづれと籠り居たるを、ある人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、下衆女げすおんなでて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内あないせさせて入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過すらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。

 内のさまは、いたくすさまじからず。心にくく、灯はかなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄かにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。「かどよくさしてよ。雨もぞふる。御車は門の下に、御供おんともの人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞやすきべかめる」と、うちさゝめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほの聞ゆ。

 さて、この程の事ども、細やかに聞え給ふに、夜ぶかき鳥も鳴きぬ。しかた行くすゑかけて、まめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる聲にうちしきれば、明け離るゝにやと聞きたまへど、夜深く急ぐべきところの様にもあらねば、少したゆみ給へるに、ひま白くなれば、忘れ難きことなど言ひて、立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりの曙、艷にをかしかりしをおぼし出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『荒れた家で人も住んでいないような所に、ある女性が世間を憚る事があって、退屈に引き籠っている所に、ある人が訪問しようと夕月がぼんやりと見える時間に忍んで訪ねて来られた。
 番犬が吠えたので、使用人の女性が出てきて「どちらさま?」と尋ね、すぐに中に案内された。

 もの寂しい様子、どのように暮らしているのかと気の毒に思うほどである。粗末な板の間にしばらく立っていると、控えめに、しかし若い声で「こちらへ」と言う人がいて、開け閉めがしずらい遣戸から中に入られた。

 中の様子はそれほど荒れている分けでもなく、上品で、遠くに灯った明かりで、置いてある物が綺麗に見え、急に好ましい匂いがし、昔が思い出されて懐かしく思われた。

 「門をよく閉めて、雨が降るので、御車は門の下に、お伴の人はそこで」と言うと「今宵は安心して寝れます」と誰かが小声でささやいたが、狭い家なので、漏れ聞こえてきた。

 さて、近頃の世情、噂など細かく話しているうち、一番鶏も鳴いた。これまでの事、これからの事などあれこれと深く気をもみ話すうちに、今度は鳥もはなやかに鳴きだし、夜も明けたと気が付いた。早朝に急いで帰らないといけない事もないので、少しゆっくりされたが、戸の隙間から外の光が差し込んできた。

 思い出などを話して立ち去る時、梢も庭も珍しく青々とした四月の明け方、優美な風情が思い出されて、大きな桂の木が見えなくなるまで、今も見送られるそうである。』

 

 

『泊』

 時々、不思議なベールに包まれる文章を読む事になります。

 さて、この世をはばかる女性とは、ある人にとって、どのような関係の人なのでしょう。世を憚る理由は何でしょうか。

 そして、このある人とは、誰の事を言っているのでしょう。また、兼好法師はこの話を誰から聞いたのか、それとも、暗に自分の思い出話をしているのでしょうか。

 分らない事尽くめで話しは進んで行き、最後には、思い出話になってしまいます。

 そして、『今も見送り給ふとぞ』で、主客が逆転しています。普通は、見送るのは、この家の主である女性のはずですが、当時の言葉使い方なのでしょうか。
 この場合は牛車が待たせてあったので、自分が牛車に乗って後ろ髪を引かれる思いで、振り返りその家の庭にある桂の木が見えなくなるまで、見ていたのだと思います。このような場合にも、『見送る』と言ったのでしょうか。

 それとも、この『見送る』と言う言葉には、この女性が亡くなった事を思い出して、ここを通るたびに、庭にある桂の木が見えなくなるまで、亡き人を思い、見送ったのでしょうか。なんだか、切ない気持ちになります。

 と、勝手に切ない気持ちになっても、本論の主旨とは違うかも分かりません。ですが、何度か読み返している内に、そんな気持ちになりました。

 昭和32年頃に青木光一さんという歌手が歌った「柿の木坂の家」と言う歌をふと思い出しました。歌詞は、

春には 柿の花が咲き
秋には 柿の実が熟れる
柿の木坂は 駅まで三里
思い出すなァ ふる里のョ
乗合バスの 悲しい別れ

春には 青いめじろ追い
秋には 赤いとんぼとり
柿の木坂で 遊んだ昔
懐しいなァ しみじみとョ
こころに返る 幼い夢が

春くりゃ 偲ぶ馬の市
秋くりゃ 恋し村祭り
柿の木坂の あの娘の家よ
逢ってみたいなァ 今も尚ョ
機織りながら 暮していてか

 思い出と言うのは、誰にでもあります。悲しい思い出もあれば、楽しい思い出もあります。しかし、一番心に残るのは、切ない思い出では無いでしょうか。

 思い出すと、ちょっと胸が締め付けられるような、そんな思い出も、この歳になると、良い思い出の一つになります。
 

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