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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【196】

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 今日の文字は『尋常よのつね』と読み、意味は尋常じんじょうと少し違います。正常、異常の正常と同じです。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百九十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 尋常

 

☆『堀江貴文氏が「働かなくていい」と主張する2つの理由』
(NEWSポストセブン 2019/02/06 07:00)

 「堀江貴文氏が最新刊『僕たちはもう働かなくていい』の中で「もう働かなくていい」と主張する理由は、2つある。ひとつは、すでに日本を含め、世界中に「富」が有り余っていること、もうひとつは、人間に代わって、AI (人工知能)やロボットが「財」を築く時代になるからだ。堀江氏が「AI時代の生き方」を説く短期集中連載の第3回では、「富」や「財」にまつわる考え方を改めるべきだという。
—-中略—–
 人間がやっていた「財をなすことが目的の面倒な労働」を、AIやロボットが肩代わりしてくれる時代がやってくる。人間にしかできない仕事はどんどん減っていき、自由な時間がますます増えていく。ただそれだけの話だ。」

 なるほどと思いました。やはり、財力を呼び込む人の発想は、常人とは一味違いますね。

 私は、働いている時から、人間はこんな形で働くべきではないと、ずっと思ってきました。しかし、解決策が見つからずに、退職して今は年金暮らしです。それも10回も職を変えて、年金を払えない時期もあったので、一般の人と比べると、1/4程度でしょうか。

 産業革命以降人間は、生産性を重視して来たと思います。そんな時代も必要だったような気もしますが、今はもうGDPを追い求める時代ではないような気がします。

 たまに梅田の方に出かけますが、電車の中や町を歩いている人を見る度に、日本は豊かになった事を実感します。もうそろそろ、平成もおわりますから、次の時代の到来を期待しても良いのかも知れません。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百九十五段 〔原文〕

 ある人、久我畷こがなわてを通りけるに、小袖に大口きたる人、木造きづくりの地藏を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二人三人出で來て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具してにけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。

 尋常よのつねにおはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。

 
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『現代文』

『ある人が久我畷こがなわてを通った時に、袖口の狭い衣服に大口袴を着た人が、木で造った地蔵を田んぼの中の水に押し入れて、丁寧に洗っていた。事情が呑み込めず見ていたが、狩衣を着た男が二、三人出てきて、「ここにいらっしゃた」と言い、この人を連れ帰った。久我内大臣殿でした。

 健常でいらっしゃった時には、穏やかで高貴な人でした。』

 

 

尋常よのつね

 精神に異状をきたして失脚した、内大臣にまでなった人の事を記しているのでしょう。

 人と言うのは、昔からそういう病を抱えていた事がよく解る文章です。何も内大臣という地位や、高貴な人、立派な人が陥る事でもないので、原因がわからない時代では、差別的な取り扱いをした事だと憶測してしまいます。

 「気がふれる」と昔はよく耳にしました。映画でも座敷牢などがあって、その中に閉じ込められている人が記憶にあります。当時はまるで他人ごとと思っていました。

 ただ、この歳になると一番気がかりになるのが、認知症と言う病気です。身近に経験していますので、この段のように、「あの人が」と、まるで人が違ってしまいます。認知症にも色々あるようですが、この病気にだけはなりたくありません。

 しかし、好むと好まざるに関わらず、病魔は、いつ誰のもとにやってくるか分らないのです。

 中でも「アルツハイマー型認知症」と言うのは、まるで脳が委縮してしまうようですから、元の自分では無くなるのでしょう。

 これは、個人的な意思ですから、社会全般、他人に対して考えている事ではないので、最初に断っておきます。もし、私が認知症になったら、法律の許す範囲で、抹殺してほしいと願っています。

 だからと言って、誰かが私の意志を汲んで実行したとしたら、やはりその人に迷惑が掛かります。生きていても人に迷惑がかかるし、どうすれば良いのか、考えが及びません。

 できれば、頭も体も健常なまま、人生の終わりを迎えたいと思います。 

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