中学校の三年間で習う、1110文字の内の5つの漢字を書いています。漢字は2020年度施行の学習指導要領に対応しています。
表示は左端が対象漢字、続いてカタカナは音読み、平仮名は訓読み、画数、部首の順です。そして、ことわざ・故事・文章などから一つを選んでその漢字の使われ方を示す事にしました。
ちなみに、文部科学省では学年ごとに習う漢字は、1学年250字程度から300字程度、2学年300字程度から350字程度、3学年では、その他の常用漢字(小学校で習う漢字1026文字以外の常用漢字1110文字の大体)と学年ごとに決まっていないようです。
381. [惨][サン][ザン][みじ-め][画数:11画][部首:心]
『苦心惨憺』
この言葉はよく使われていると思うのですが、工夫を凝らして苦労することを言います。母は「しんねんこんねん」と言っていました。そんな経験は山ほどあったと思います。
私は職業を何度も変えてきましたので、新しい仕事をする度に苦心惨憺の末に、何とか慣れたような気がします。
慣れるための工夫も色々したのですが、時が解決してくれたのが一番ですね。
今一番苦心惨憺しているのは、お習字です。なかなか上手くなりません。反って下手になって行くようで・・・。特に基本的な、点画に苦労しています。
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行書 |
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382. [傘][サン][かさ][画数:12画][部首:人]
『傘寿』
長寿を祝う歳に傘寿と言うのがありますが、本来は数え年で祝うそうですが、最近では満年齢で言う事が多いそうです。
傘寿と言うのは80歳、その上が88歳の米寿ですが、その漢字に意味がありそうです。
60歳の還暦は、干支が元に戻る事から還暦と言われるようになったそうです。私も昨年元に戻ったのですが、もう一回りして72歳でした。
70歳が古希で、唐の詩人、杜甫の「曲 江」と言う詩の中に「人生七十古來稀」があり、古希の由来とされています。
その上が77歳、後4年です。喜寿と書きますが、喜ぶと言う漢字を草書体で書くと、七十七と読める字もありますので、意味からもこの漢字を用いたのでしょう。
その次がここで取り上げた傘寿ですが、これも漢字の八と十から傘の漢字を使ったのでしょう。しかし少し無理があるかも知れません。
次が88歳ですが、これは米寿と書きます。崩すと八十八と読めるそうです。書道で調べると楷書・行書・草書には無さそうです。ただ一つ一つの漢字の部品を分けると、確かにソと十と八に分けられますので、上のソの部分を八としたのでしょう。崩すと言うのはそう言う意味なんでしょうね。
次に90歳の卒寿が来ます。これも漢字の卆を当てたのでしょう。
人生100年と言われるようになりましたから、次の白寿になる人も大分増えたように思います。これは99歳で、漢字の百から上の一画を除くと、白になります。なんだか算数ですね。
もっと上には百寿(紀寿)、108歳の茶寿、111歳の皇寿、120歳の大還暦があります。
ただ、250歳で天寿と言うらしいのですが、天寿を全うする人はいるのでしょうか。
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383. [斬][ザン][き-る][画数:11画][部首:斤]
『泣いて馬謖を斬る』
「中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は、臣下の馬謖が命令に従わず、魏に大敗したために、泣きながら斬罪に処したという故事から。」【出典:ことわざ辞典ONLINE.】とありました。
諸葛孔明は、三国時代に軍師としてその名を轟かせた人です。私のような者でもその名前とこの諺は知っています。
規律を守るために、違反者を断罪しなければ、統率が取れなかったのかも知れません。時代がそんな時代だったのでしょう。
歴史を振り返ると、そんな権力者が度々出てくるように思います。
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384. [暫][ザン][画数:15画][部首:日]
『暫且』
こんな言葉があったのですね。暫時と同じ意味だそうです。しかし、文学を嗜む人は、こんな言葉も知っておく必要があるのでしょう。
普通の文章の中では、見た事がありません。私が文章の中で使うとしたら、「暫時」も古臭い感じがします。また「しばし」も同じです。私なら「しばらくの間」位をチョイスするでしょうね。
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385. [旨][シ][むね][画数:6画][部首:日]
『宗旨の争い釈迦の恥』
確かに仏教の始祖はお釈迦様ですから、教えは同じでしょう。ですから如何に人によって宗派が出来ても、争いはあってはならないと思います。
しかし、宗教は信じる事だと思いますから、どうしても排他的になるのでしょう。自分が習っている事が正しいと思うのは仕方がないことだと思います。
自分が習っている事を信じて拠り所にするのは良いと思いますが、この場合、教えている根本は同じでなくてはならないと思います。
もしその根本が違うのであれば、それは仏教とは言えません。なぜなら仏教の根本はお釈迦様にあるのですから。
教え方が違うと言う場合もあると思います。他の宗派の人は、その教え方に異論があるのかも知れません。
しかし、それは人それぞれに受け取り方が違うのですから、「人見て法を説け」と仏法を説く時に、お釈迦様も言われたとか。
ただ争いの原因は他にもありそうです。
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