中学校の三年間で習う、1110文字の内の5つの漢字を書いています。漢字は2020年度施行の学習指導要領に対応しています。
表示は左端が対象漢字、続いてカタカナは音読み、平仮名は訓読み、画数、部首の順です。そして、ことわざ・故事・文章などから一つを選んでその漢字の使われ方を示す事にしました。
ちなみに、文部科学省では学年ごとに習う漢字は、1学年250字程度から300字程度、2学年300字程度から350字程度、3学年では、その他の常用漢字(小学校で習う漢字1026文字以外の常用漢字1110文字の大体)と学年ごとに決まっていないようです。
626. [騒][ソウ][さわ-ぐ][画数:18画][部首:馬]
『世上物騒我が身息災』
「自己中」と言えるのかも知れませんが、自分が中心の考え方は同じですが、それにも増して、自分さえ良ければ良い行動をする人の事だと思います。
「自己中」の場合は、自分は正しいと思っていると思うのですが、この諺は、正しいとか、正しくないとか考えてもいない様子です。
どちらも厄介ですが、大部分の人が、そんな一面を持っているのではないでしょうか。
刑法第37条には緊急避難の条項があります。
「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」法律でも、やむを得ずした行為に対しては自分の権利を優先できるとあります。
もちろん、これはその行為自体が法律の定める範囲でなければなりません。
実際、ある程度は自分中心に物事を考えないと、世界を認識する事が出来ないのが人間だと思います。
理由は簡単です。自分が亡くなった時点で、自分の認識している世界は、一瞬にして無くなるのですから。
しかし、自分だけの事を考えて行動していると、社会的な動物である人間は、どこかで壁にぶつかると思います。
他の人も又同じ人間であり、それぞれに主張もあり、権利を持っているのですから。
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627. [藻][ソウ][も][画数:19画][部首:艸]
『藻屑と消える』
この言葉は、前に「海の」と言う言葉をつけて言う場合が多いと思います。
戦後すぐにはこんな言葉をよく聞きました。「海の藻屑と消えた多くの兵隊さん」。
今でも、海難事故は起こります。死体が上がらない、行方不明の人に対しては、そんな言葉で言われるのかも知れません。
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628. [憎][ゾウ][にく-む][にく-い][にく-らしい][にく-しみ][画数:14画][部首:心]
『その罪を憎んでその人を憎まず』
この言葉の元になったのは、「孔子曰、可哉。古之聴訟者、悪其意不悪其人。」とされています。これは、孔叢子と言う書籍の中の刑論にあります。
「古之聴訟者、悪其意不悪其人」の部分だけを書き下し文にしますと「古の訟を聴く者は、其の意を悪みて、其の人を悪まず。」と読めます。
私は、人間が罪を犯すのは、大部分の人が罪と思う事が納得できないか、あるいは、異端の人だと思っています。
その異端と言うのは、大部分の人が正常であるとすると、異端と言うのは、正常と異常の狭間にいる人か、あるいは、異常な人と言えます。しかし、あくまでも、大部分の人を正常とした場合です。
仮にこの異端の人が病気と考えるのであれば、その罪を犯した事を憎み、その人は病気と思えます。しかし、必ず犯した人がいると、その被害を受けた人もいると思います。
その被害者から見て、果たして、この言葉のように「その罪を憎んでその人を憎まない」事が可能でしょうか。
ただ、法律を犯している事は重々承知の上で、覚悟を決めて犯す場合は、すでに償う覚悟は決めているのでしょう。でなければ、ただの勝手な行いと言えます。
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629. [贈][ゾウ][(ソウ)][おく-る][画数:18画][部首:貝]
『贈収賄』
これは、贈賄、送る側と、収賄、すなわち貰う側を一緒にした言葉ですね。要は賄賂のやり取りの事です。
では、誰でもかと言うと、限定されています。それは原則として、一方が公務員でなければ成り立たない事です。
もちろん、原則ですから、取締役や会計参与、監査役、執行役などの民間人にも適用される法律が用意されています。
昨年でしたか、関電高浜原発の工事受注に絡んでそんな事件がありました。
もともとは公務員である福井県高浜町の元助役の男性からの贈賄であつたのですが、一般人を介して関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長を含む同社幹部ら6人に金銭が渡ったとされるのは、会社法967条1項(取締役等の贈収賄罪)にあたるのではないかと言う問題でした。
これ、どうなったのでしょう。
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630. [即][ソク][画数:7画][部首:卩]
『色即是空』
と、言えば「空即是色」と続くと思いますが、般若心経の一節にあります。
ここに書かれてある字面を読むと、「色は即ち空である」ですが、色と言うのは、我々が認識できる物質や現象の事を言っています。
そこで「空」と言う文字が気になります。実体が存在しない事だと説明があるのが一般的です。
続けると、我々が日常認識出来ている物や出来事は、結局実体が無い、そんな言葉です。
ただ、この「空」と言う解釈によって色々考え方も変わってしまいます。ここで言われる「空」は、全く何も無いと言うのではなく、実体すなわち、変わる事のない物として存在していない、と言うのが仏教的な解釈だと思います。
言い方を変えれば、刻一刻と変化して元の実体は無いと言う事だと理解できます。
これ以上解説すると、宗教になってしまいますので、後はそれぞれ興味のある人は、仏教を勉強してみてはどうでしょうか。
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