中学校の三年間で習う、1110文字の内の5つの漢字を書いています。漢字は2020年度施行の学習指導要領に対応しています。
表示は左端が対象漢字、続いてカタカナは音読み、平仮名は訓読み、画数、部首の順です。そして、ことわざ・故事・文章などから一つを選んでその漢字の使われ方を示す事にしました。
ちなみに、文部科学省では学年ごとに習う漢字は、1学年250字程度から300字程度、2学年300字程度から350字程度、3学年では、その他の常用漢字(小学校で習う漢字1026文字以外の常用漢字1110文字の大体)と学年ごとに決まっていないようです。
751. [賭][ト][か-ける][画数:16画][部首:貝]
『一擲乾坤を賭す』
「乾坤一擲」の四字熟語を取り上げた時にも書きました。この諺は同じ意味です。出典の「誰か君主に勧めて馬首を回らし、真に一擲を成して乾坤を賭せん」【韓愈「鴻溝を過ぐ」】について、前回は単なる大勝負ではなく、イチかバチかの博奕的な要素が高いと書きました。
時には、一生の間には、そんな場面に出くわす時があるものです。そんな時は、覚悟を決めて、結果を気にせずに勝負をする必要もあると思っています。
ちなみに、この「賭」と毛筆の字には「、」がありません。書道では、というより書き文字には「、」はいらないようです。
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752. [奴][ド][画数:5画][部首:女]
『鄭家の奴は詩をうたう』
「奴」と言うのは使用人の中でも奴隷に近い身分だったと思います。ですから、詩をうたうなんて文化的な事を教育されていなかったのでしょう。
「門前の小僧習わぬ経を読む」と同じで、いつも聞いていると自然と覚えてしまうのでしょう。
私も生まれた時から、時計屋の息子として育ちましたから、自然にピンセットや小さい精密ドライバーなどは、習わなくても扱う事が出来ていました。
今回、通信教育で書道の正師範を取得しましたが、これも小さい間から、姉が毎日書道展の無鑑査で、書道塾をやっている関係で、自然に筆を持つようになったと思います。
意外と習うより慣れろと言われるように、慣れる事は学ぶ事よりも身につく方法かも知れません。
楷書 |
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753. [怒][ド][いか-る][おこ-る][画数:9画][部首:心]
『怒りを遷さず』
そうですね。八つ当たりは見っともないです。人格を疑われます。でも、世の中にはそんな人もいます。
自分がそうならないようにしたいと思いますが、怒りを鎮めるために出来る事は、自分で用意しておく必要がありそうです。
ようするに気分転換の方法を幾つか持っておくのが良いと思います。きっと、そんな高ぶった気持ちを落ち着けてくれると思っています。多分有効な手段だと思っています。
空手道をしている人は、巻き藁を突いていると気持ちが落ち着いてくるかも知れません。
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754. [到][トウ][画数:8画][部首:刀]
『意到りて筆随う』
思い当たる事もあります。何かをする気になりさえすれば、自然にできるようになるものだと思っています。
例えば、このブログを毎日書いていますが、現在は中学生で習う漢字をデータベースにしています。ですから、漢字は順を追って分かるのですが、その漢字を使って、諺や四字熟語、あるいは知りたい文章などを選ぶのですが、これが結構厄介です。
また、この諺や四字熟語について、思いついた事を書くのですが、なかなか文章が出てこない時があります。昔、小説家の人が言っていたのですが、障子の升目が原稿用紙に見える、と言っていた事を思い出します。
それと、毎日毛筆で楷書、行書、草書と書いているのですが、気乗りのしない時があります。と言うより、なかなか気乗りがしない時の方が多いです。
私は、「意到りて」と言う事が稀ですから、気分が乗らない時でもやれる方法を実行しています。
難しく言うと、何も考えないで行動を起こすのですが、何も考えない事は、そんなに簡単には出来ません。
ですから、いまからやろうとする事を、何か理由をつけて、先延ばしにしようとか、止めようとか、阻害する事が浮かんだ時には、阻害する事だけを考えないようにしています。
例えば、私は毎日朝2時間ほどのトレーニング、と言えるほどの内容ではありませんが、実践しています。
私は常にトレーニングの種類を変えています。飽き性なのかも分かりません。現在のカリキュラムにしてから、約3ヵ月を経過していますが、カリキュラムを消化する事より、朝起きて出かけるまでが勝負です。
そんな時に、頭に浮かんだ阻害要因を打ち消し、と言うより無視して、外に出る事、この行動に身体を任せる事にしています。
案外、膝が痛い時、腰痛で立つのがやっとの時、あるいはもう少し寝ていたい、そんな時にも役に立っています。
そう、今日も阻害要因を無視して外に出ました。
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755. [逃][トウ][に-げる][に-がす][のが-す][のが-れる][画数:9画][部首:辵]
『三十六計逃げるに如かず』
古代中国の兵法の中には三十六種類の戦う方法があるようです。その中でも逃げると言う方法は、他の三十五の方法よりも優れていると言うのでしょう。
ただこれも兵法と言う言葉をどのように解釈するかによります。私が理解している兵法と言うのは、あくまでも戦いを想定して、その勝つための理を探ると言うものだと思っています。
私も、戦いは避ける事が出来れば、それに越した事は無いと考える方です。
しかし、あくまでも兵法が勝つための理であれば、逃げると言う方法は論外であると思っています。でなければ、初めから戦わないようにすれば良い事です。
兵法と言うからには、戦いが始まってからの対処の方法で、その目的は勝つ事です。
競技ではありませんから、ルールはありません。生きるか死ぬかの選択を迫られるのが戦いです。ですから、逃げると言う行為は、死を意味します。それが不本意だと思うなら、私が考えるように戦わない事です。
しかし、どうしても避ける事が困難な場合には、身に降る火の粉は払わなければなりません。
その為には戦うと言う気持ちになる事、すなわち覚悟を決める事だと思っています。そんな時に、逃げようと思う事は、心が既に折れてしまっています。必ず負ける事が、この時に決まると思うのですが。
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