中学校の三年間で習う、1110文字の内の5つの漢字を書いています。漢字は2020年度施行の学習指導要領に対応しています。
表示は左端が対象漢字、続いてカタカナは音読み、平仮名は訓読み、画数、部首の順です。そして、ことわざ・故事・文章などから一つを選んでその漢字の使われ方を示す事にしました。
ちなみに、文部科学省では学年ごとに習う漢字は、1学年250字程度から300字程度、2学年300字程度から350字程度、3学年では、その他の常用漢字(小学校で習う漢字1026文字以外の常用漢字1110文字の大体)と学年ごとに決まっていないようです。
996. [盲][モウ][画数:8画][部首:目]
『盲亀の浮木』
これは仏教の説話ですから、いわゆるたとえ話です。ですから真実ではありませんが、言葉を変えて言えば、「千載一遇のチャンス」と言えるでしょう。
ちなみに、「海中に住み、百年に一度海面に浮かび上がる目の見えない亀が、海に漂う浮木の穴に入ろうとするが、容易には入れなかったという仏教の説話から。」【出典:ことわざ辞典ONLINE.】と言う話です。
しかし、如何にお釈迦様のたとえ話にしても、本当にありえない話を説話にして何を教えたいのか。
確かに、浮木の穴に亀が入れないとは言い切れないかも知れませんが、その前に百年に一度海面に浮かび上がる目の見えない亀の存在は、否定できると思うのですが。
お釈迦様はその亀さえいないと言い切れるのか、と反論するのでしょうか。
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997. [耗][モウ][(コウ)][画数:10画][部首:耒]
『心神耗弱』
刑法の第三九条には、心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
と言う事が書かれています。
私は、常にこの条項に疑問を感じています。
如何に心神喪失者であろうと、心神耗弱者であっても、結果をみれば、そこに被害者がいるはずです。
にも拘らず刑を罰しないとか、軽減すれば、その被害者、及びその家族の無念は考えなくても良いのでしょうか。
あくまでも刑は刑として罰し、その扱いを考えれば良いと思います。
例えば、責任能力がある場合には、刑務所に拘束し刑を負わし、責任能力に疑問がある場合には、専門の病院に収容し、社会生活を遮断する事で罰を受けさせる。
など、あくまでも罰する事を優先すべきで、軽減や罰を受けないなどは、何か違うような気がしています。
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998. [猛][モウ][画数:11画][部首:犬]
『威あって猛からず』
「威厳があり、しかも温厚で荒々しくないようす。孔子の人柄を弟子が評したことばで、君子の理想的な人柄をいうことば。」【出典:ことわざ辞典ONLINE.】。
これは、「威」と言う言葉の意味の捉え方によって、随分意味合いが違う様になると思います。
「自然に人を従わせるような厳かさ。」【出典:デジタル大辞泉 小学館.】の場合には、「威」と「猛」の関係が対照的に納得できるのですが、「人をおそれ従わせる力。」【出典:大辞林第三版 三省堂.】の場合には、「威」も「猛」も同じような気がしてしまいます。
言いたい事は良く分かるのですが、もう少し人が自然に付き従うような人の事を表現出来なかったのでしょうか。
それとも、現在の辞書に問題があるのでしょうか。
あるいは、私が曲解しているのかも知れませんが。
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999. [網][モウ][あみ][画数:14画][部首:糸]
『網にかかるは雑魚ばかり』
犯罪を犯す者は、初めから捕まらないような策を弄しているのでしょう。
ですから、その片棒を担いだり、手下となって犯罪に加担する者達は、いいように使われるのですから、当然トカゲの尻尾切りよろしく、捕まる時は一番先に捕まるようにしていると思います。
そんな当然の事を解らず、仲間意識を持っているのが、雑魚と言われるような人達です。
犯罪に加担して良い事など、一つもありません。本当の悪人にいいように利用されたり、使い捨てられるのが落ちだと思いますよ。
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1000. [黙][モク][だま-る][画数:15画][部首:黑]
『維摩一黙』
「[維摩]は釈迦の弟子の一人で、仏教の教理について、釈迦の弟子たちが議論していた時に、文殊菩薩は文字や言葉では言い表せないといい、その後に意見を求められた維摩は、何も語ろうとせずに教えを態度で示したという故事から。」【出典:四字熟語辞典ONLINE.】。
これだけでは、どんな議論をしていたのか分かりません。したがって、維摩と言う人が、何も言わなかった理由も分からないし、どんな教えを態度で示したのかも明らかではないと思います。
そこで、『維摩一黙』を調べて見る事にしました。
これは一つの物語になって伝わっていますが、「不可思議解脱経」と言う経典の形態をとっているようです。
少しどんな内容かを記述しているものがありましたので、抜粋して掲載します。
「維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか説明を促し、これらを菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といい、我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促したが、維摩は黙然として語らなかった。文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆した。」【出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】。
維摩と言うのは、古代インドの商人で裕富で資産家であったと記録されています。釈迦の在家の弟子ですが、資産家であったため維摩居士と言われていました。
残念ながら、なるほどと言うほど説明はできませんでしたが、要するに、色々説明をするより、黙っている方が、より真意を示す事が出来ると言った事だと理解しました。
ただ、この場合は、文殊菩薩と言う希代の賢者が傍にいて納得しなければ、ただ何も言えなかった。となるかも知れません。
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